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2007年3月

2007年3月31日 (土)

モモへ

Photo_7 今日、モモの最期をみとってくれた獣医さんから、お花が届きました。ピンク色にみちた大きな花飾りで、飾ったらモモの遺影がみえなくなりました。モモは、というかパグは、赤とかピンクがよくにあうようです。

 獣医さんの心遣いに、感謝申し上げます。

 写真は何年前だったか、とにかくネコよりも「こたつ」が好きなやつでした。

 それにしても、

   モモに会いたい……

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2007年3月29日 (木)

鷲羽 涼

Photo_30   閑話休題      

  動物遺体(骨)に関心のあるかたは、

  よろしかったら、こちらのホームページもどうぞ。

   http://doubutsuitai.com   

   

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2007年3月22日 (木)

馬頭観音

 わたしはいま、遺跡から出土する動物遺体、つまり貝とか骨とかの鑑定、分析をする仕事をしています。その詳しい内容はさておくとして、仕事をするうえでどうしても必要とするのが、出土した骨がなんの骨なのかを鑑定するための、さまざまな動物の骨格標本です。とはいえ、生きている動物を殺して標本をつくるなどもってのほかで、また、家族としていっしょに暮してきたものたちの遺骨に手を出すことなどできようもありません。以前「できるだけがんばって飼育して、それでもいつか亡くなったときは骨は標本に」と思ってウサギを飼ったことがありますが、10年暮してついに亡くなったときには、情がうつりすぎていて、とても骨を標本にさせてもらう気にはなれませんでした。

 かくして、わが標本集めは、長い時間をかけて、たまたますでに死んでいる動物の遺体をみつけると、それを拾ってきてぽちぽちと骨をとらせていただいているわけで、こんなことではなかなか集まりませんが、それでも、ようやくいまやわが部屋もさまざまな骨で満杯になってきています。

 こんなことをしている関係上、以前から標本になってくれた動物たちの慰霊としてなにかしなければと思っていたのですが、これまでに多くの動物の死に出会い、さらに今回愛犬モモの死にあたり、ますますその気になってきました。

 そしてまず、動物たちのための仏様をまつりたいと考えるに至り、そうした役目をもったおかたはどなたかなと調べましたら、どうも馬頭観音のようです。馬頭観音が動物の守護や霊の導きをすると考えるのは日本独自のもののようですが、大切にしていた牛馬(とくにウマ)のためというところから始まり、いまやペットたちのためということで、多くのかたからの信仰を集めているようです。

 ただ、ひとこと文句をいえば、馬頭観音は「畜生界救済の菩薩」ということですが、ちょっとというか、おおいにひっかかるのがこの「畜生」ということばで、仏教界の用語としては確立しているものなのでしょうが、動物を「畜生」と呼ぶのは、いいかげんにやめてもらいたいところです。

 そして、この馬頭観音、像としては三面だったり四面だったり、いずれもおそろしくこわい顔をしております。これは、動物を虐待するような人間たちに向けた表情だと思うのですが、それが仏像表現としての定番になっているのでしょう。こうした像は寺院などのほかにも、石造仏としてまま見かけますし、単に石面に「馬頭観音」と刻んだだけの文字塔も、大小あちこちでみかけます。これまではながめるだけで通りすぎてきましたが、今後は写真などを撮りながら、どこにどんなものがあるかも注意してみたいと思います。

はるかな過去から現代まで、人と動物との関係をみていると、人の動物に対する優しい思いがあふれている事例にであうと、ほほえましくて人も動物も愛しく感じますが、なかには人の動物に対するひどいしうちが目につくものもあり、とくに昨今などはそっちのほうが目や耳にすることが多くなってしまいました。一頭、一頭の悲しい死などを知るにつけ、人間に対するわが顔つきも怒りの増したものになっていく気がします。馬頭観音の顔がおそろしいのもむべなるかな、といったところです。

 ともあれ、もう少しこの馬頭観音にこだわり、普段の生活や仕事を通して、自分もその役目の一端を少しでもこの世で担っていきたいものと思います。

3_2Photo_3  左の写真は、東京都府中市の郷土の森博物館の庭園に置かれていた江戸時代(嘉永3年-1950年造)の馬頭観音像で、以前は府中市内(府中町2丁目)にあったものをここに移したもののようです。風化していますが、3面で馬頭観音らしい形相をしています。ただ、ちょっと優しい表情かもしれません。

 

47          

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 これは、神奈川県横浜市根岸にある「馬の博物館」の野外に安置してあったもの。これはなんともかわいらしい顔をしております。一番左のものは、嘉永7年(1954年)造とのことです。競馬には詳しくないのですが、かつて名馬といわれた競馬馬の遺影が飾られていました。

2_31_2   これは文字だけを刻んだもので、東京都日野市の日野警察署近くにあるものです。写真を撮っていたら、通りがかりのひとが、「ここは昔、厩があったんだ」といってましたが、かつては日野宿として栄えた地でもあり、ウマとの縁も強い土地柄だったのでしょう。写真右は昭和4年建立となっていましたが、左側のはもう少し古いものではないでしょうか。側面に氏名があり、ウマとの関わりがあった人のものでしょう。

 というわけで、今回はいささか地味な内容となりました。

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2007年3月15日 (木)

ネコネコネコ 思い出の情景

 そこは、ネコだらけの一画でした。

 数年前、住宅街の中に当時私の職場があり、その出入り口前に奥のお宅へ一本の細い道が通じていました。そことは、そこのことです。常に5~6頭のおとなのネコと、「また生まれたか」という子ネコが集まっていました。

1_1  このネコたち、奥のお宅のかたが食事を与えていたので、当初はそこの飼いネコたちだと思っていたのですが、それにしてはどうにもネコの数が多い。きけば、どうもそのお宅のかたは、ノラネコを見捨てられずに食事をやるようになっただけのようでした。その結果、さらにネコが集まり、増えつづけていたのです。

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3_16  ここのネコたちは、美しいのやら、目つきのわるいのやら、かぼそそうなのやら、しなやかそうなのやら、こうした子たちに囲まれた職場は、ネコ好きにとっては、天国でもありました。

7 でも、これだけいると、病気も蔓延しやすく、ある日目の具合がわるい子をみたと思ったら、その後つぎつぎと同じように目を病むのがでてきて、奥のお宅のかたが順ぐりに病院に連れていっているようでしたが、病気はおさまりませんでした。

 奥のお宅のかたも優しいかたで、無償の行為としておこなわれていたのでしょうが、食事をあたえれば、そこの飼いネコとみなされます。そうなると、いろいろな責任もかかってきます。

 病気の世話もそうですが、子ネコが生まれつづけるのも、たいへんなことです。これだけネコがいるのに、避妊や去勢といったことはまったく行われていないようで、よくこれでほかのご近所から苦情がでないなと心配になりました。

 つぎつぎと子ネコのかわいい姿がみれるのは、とっても幸せな気分になります。この子たちがじゃれあっている光景は、なんともほほえましいものです。この情景をいつも見ていたい、永遠につづいてほしい、そう思うのは、ひとのよき情でもあるでしょう。

 でも、人間中心となっている現代社会では、それではすまなくなっきます。ネコだけを見ているわけにはいかないのです。ノラの面倒をみるのなら、中途半端では、結局ネコたちもかわいそうなことになってしまいます。やさしさだけでは、彼らのいのちを守ることはできないのです。手をさしのべるなら、自分の人生や生活をなげうつ覚悟も必要でしょう。

 わたしの職場は、まもなく別の場所に移転しました。そして、1年後のことです。

 ネコの天国は、消えました。

 移転先の仕事場でいっしょに仕事をしていたスタッフのひとりがもとの作業所に社用でいくことになり、そのひともネコ好きのかたまりであったので、御用よりも「ネコたちのようすをみてくる」といって、久しぶりにかれらと会うのを楽しみにしてでかけていきました。

 しかし、戻ってきたときの顔は、うちのめされたものでした。

 ネコだらけだったあの場所にネコの姿はまったくなく、たまたま奥のお宅のかたがでていらしたので、「久しぶりにネコたちに会いたかった」と伝えると、「ほとんどいなくなった」と教えてくれたそうです。そろってどこかへ行ったのではなく、死んだというのです。

 なにかの毒にやられたらしい、とのことでした。

 かつてなじんだあの子はそこで、子ネコたちに優しかったメスネコはあそこで、どの子はあっちで、この子はむこうでと、ある日、みんなみんなあちこちで倒れて死んでいたそうです。その死にざまは、思い浮かべるのもつらいものです。

 仕事の合間になごませてくれたネコたち、写真のモデルになってくれたネコたち、人間になつき、信用するようにもなっていたあのかわいい子たち、その子たちがまかれた毒を口にして苦しんで死ぬとは。

 「どこのどいつが」とめちゃくちゃ腹を立てましたが、犯人は不明で、心配していたことが、こんな極端な形で現実になってしまったことに、自己嫌悪にも陥りました。集まっているネコへの苦情は、こちらの耳に届かないかたちで、これまでにもさんざんやってきていたにちがいありません。

 やっぱり、ネコだらけの状態を苦々しく思っているひとがいないわけはなかったのだ。

 なぜ、奥のお宅のかたとも話しあって、もっとネコたちを守ってやろうとしなかったのか、と。

 世の中、動物好きのひとばかりではありません。でも、そうしたひとたちも、ほとんどは頭がさがるほど身近な動物の存在にも辛抱してくれているものです。であればこそ、動物好きの側はそのことをもちゃんと認識して、知恵をしぼり、やるべきことはやって、協力しあってなんとかみんなが共存できる環境をつくっていく努力をすべきなのではないでしょうか。それを怠ると、ときにこんな悲劇がおきる。そしてそれは、この場所だけのことではなく、あちこちでおきていることでもあるのです。こんな「とんでもないこと」をするのも、人間のもつ業のひとつなのでしょう。その結果、通りすがりの関係のないイヌや鳥なども被害を受けるのです。そしてそれは、人間自身にもおよんでくるでしょう。ノラネコを不憫に思い手をさしだすのなら、そこまでの予想や覚悟も必要なのです。罪なきものに、害をおよぼすことがあってはならない。人間同士のトラブルは、人間のあいだでおさめなければ。

 この件は、わたしにつくづくとそう思わせました。

 ペットのトラブルは、ほとんど人間のありかたによるものです。ネコはネコとして生き、イヌはイヌとして生きようとしているだけ。それをめぐってペットたちがひどい目にあうのは、理不尽です。問題は、かくいう自分をも含めて、人間の側にあるのです。

21  22狙って。

そっと近づき。Photo_2

とびついて。8_1

うるさい、と怒られる。

4_1 この子たちは、もういない。

そして、きみたちのことも、決して忘れない。

         

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2007年3月 3日 (土)

パグのモモ 2

 亡きモモは、ネコのトラとほぼ同じ頃にうちにやってきました。

 モモは、知り合いから「貰い手がつかなくて一頭だけ残ってしまった子犬をひきとってやってくれないか」と頼まれた子で、Photo トラはうちの庭で一晩中ないて自己主張をしていたノラの子猫でした。かれらは年齢も同じぐらいで気があったのか、よくいっしょに遊び、ともに成長しました。写真は昨年のものですが、「年取ったなあ」というモモと「太らしてしまったなあ」というトラが、両者専用の布団で寝ていたときのもので、カメラを構えたとたん、モモがおきあがってしまった瞬間です。食事時にもめることはあっても、基本的に仲良しの二頭でした。

 モモが亡くなったあと、トラはいなくなったモモを探すように、家の中をなきながらうろつきまわっていました。でも、それは一晩だけのことで、その後は、ふと見ると、二枚目の写真のように、専用布団の横に置いたモモの若い頃の遺影を、じっと見つめていたりします。Photo_1トラは、なにを思っているのでしょうか。モモになにか話しかけているのでしょうか。モモが高齢だったということは、トラももう高齢猫になってきているわけで、こちらも落ち込んでばかりいてはトラに申し訳ない。もうひとふんばりしなければ。この記事を書いているあいだも、トラはかつてのモモの指定席だったわたしの左隣で寝ております。わたしの風呂あがりをドアの外で待つのもモモの役目でしたが、先日はそこにトラがいました。トラがこんなことするのは、はじめてのことでした。モモは、トラになにかを託したのかもしれません。

 最盛期は20羽近い鳥にシマリス、ウサギ、ハムスター多数、あるいはイヌ2頭にネコ3頭といういつも大騒ぎのようなわが家も、いまやとうとうトラだけになってしまいました。このトラをだいじに、そして見えなくなったモモの存在を懐に、これからもなにかとどたばたしていくことと思います。

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