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2007年4月

2007年4月28日 (土)

30年前の柴犬ラック

Photo_12 いま手元に残っているラックの写真は数枚しかなく、この写真も長く飾ったままだったのでボロボロになってしまった。

ラックは、わたしが中学3年生か高校にあがるころ、家が横浜の一戸建に越したのをきっかけに、父親の知り合いが飼い犬の産んだ子を一頭譲ってくれたものだった。といったも、わたしがもらったわけではなく、妹が動物好きと思われていたため、「妹に」ということで贈られたものだ。

わが妹は、動物をみれば「かわいい」とはいうが、自分で飼って世話するなど、金輪際しない人間だった。なのに、どういうわけか、父の知り合いはやたら「妹さんに」といって、セキセイインコやらジュウシマツやら、そしてラックまでプレゼントしてきた。きっと、娘をかわいがっていた父が、仕事さきで娘自慢のいいかげんなことをいっていたのだろう。

というわけで、わが家はまたたくまにペットが増え、妹はまったく世話をしない、母も動物の面倒をみる人間ではない、父は仕事でいないことが多い、みかねて、わたしがすべての面倒をみることになった。みているうちに、鳥たちは殖えに殖え、周囲のひとは、わたしが動物好きだから次々と動物を飼っているのだと思うようになった。父はそんなわたしを呼び、「なにを飼ってもいいが、ヘビだけはやめろ」といった。ちょっと待ってくれ、たしかに自分は動物好きだけど、現在にいたるまで、自分から求めて飼うことにしたのは数少ないのだ。いつも、やむをえず、面倒をみることになっただけなのだ。わたしは、ペッマニアではないのだ。

ラックに関して、母は「責任感をもたせるために妹に世話させるから、あんたは手をだすな」といった。でも、頑固なまでに妹は世話などしない。当時はまだイヌは庭につないで飼うことが普通だった時代だから、ラックは家族の顔のみえない犬小屋でずっとほったらかされたまま。これではラックがかわいそうだ。イヌは人間の教育のための道具ではない。そういうわけで、以後ずっとラックの世話はわたしの役目となった。

とはいえ、こっちも大学生にもなれば、学校の用事やら、人とのつきあいやら、家に帰るのも深夜になることが多くなり、ラックはずっとひとりでそんなわたしを待つはめになった。

わるいことをしたと思う。せめて、家のなかにいれてあげられれば。しかし、うちではそれは許されなかった。イヌは飼い主といっしょにいるのが幸せだったのに。わたしは、もうこんなイヌの飼い方はしない。それが、現在のわたしとラックとの約束になっている。

ラックが6才のとき、もとの飼い主のもとに残っていた同腹の兄弟イヌがつぎつぎと死んだときいた。

「なぜ」と父にきくと、「老衰だって」とこたえた。そんなわけない、と思った。いくらなんでも老衰なんて。ラックはまだまだ元気じゃないか。

フィラリアという寄生虫のことがふつうに知られるようになったのは、いつのことだろう。少なくとも、父の世代はそれを知らず、イヌは5-6年で死ぬのがふつうだと考えていたらしい。わたしも、そのころはそんなに知識はなかった。兄弟イヌがあいついで死んだのは、なにか別の病気のせいにちがいないと思っていた。念のためラックの犬小屋のそばに蚊取り線香をたいたが、たいして役にたたなかったようだ。

ラックが10才になったころ、散歩中に突然横倒しに倒れるようになった。

獣医さんに連れて行くと、「フィラリアにおかされ、この寄生虫はもう駆除できないので、このままいくしかない」と宣告された。

そして、ラックが11才の夏。社会人となり、その年の秋に家を出て自活することになっていたわたしは、ラックのことだけが心配でいた。残念ながら、ラックはもう長くはなさそうだ。家を出るのは、ラックをみおくってからにすべきか、と毎日毎日考えていた。

その日は、暑い日だったかどうか覚えていない。夕方からの会社の勉強会に出ていたわたしは、急にのどが息苦しくおかしくなり、早目に帰宅することにした。帰りの電車のなかでも、のどの具合はおさまらない。突然、「家でなにかあった」と感じ、家族の顔をひとりひとり頭に浮かべた。でも、誰にもなにかあった感じがかえってこない。つぎにラックを…。

「ラックだ! ラックになにかあった!」

その思いは、家に近づくにつれて、確信じみてくる。

家に着いたとき、ラックは死んでいた。病死ではなかった。

ラックの小屋は、何年もまえに父がカーポートをつくるために庭を掘り込んだため、そのカーポートを囲むブロック塀の向こう側、高い位置におかれていた。ラックは、何年もそこにいて、一度もブロック塀をこえようとしなかったのに、その日に限って塀をとびこえ、鎖でつながれていたため、首吊り状態になってしまったのだという。ラックは窒息した。

とおりがかった人が急いで抱き上げてくれたそうだけど、もう助からなかった。

「ラックよ、なぜ、そんな死にかたをしたんだ」

遺体となったラックにそう話しかけていると、母がいった。

「あんたの負担になりたくなくて、自殺したんだよ」

そのことばが、胸につきささった。ラックに、そんな思いをさせていたなんて、考えてもいなかった。

日増しに具合をわるくしているラックをみていて覚悟はしていたけれど、こんな別れになるなんて。

ショックは、なかなかおさまらなかった。

それは夏の終わりだった。そしてまたたくまに秋になり、わたしは予定通り未練のなくなった家を出た。ラックのもうすりきれまくったリードをポケットにいれて。

数日後、母から電話があった。

「夢をみたんだけど、そっちのあんたの家で、あんたといっしょにラックが歩いていたんだけど、そのラックの顔が、ものすごくうれしそうなのよ」

あれから何度も引越しをした。でもそのつど、ラックのリードはわたしのポケットにはいってついてくる。いまも、それはわたしの仕事場につるしてあり、その横にはその後縁あって暮すことになった亡きコウシロウのリードがあり、さらにその横には、先ごろ亡くなったモモのリード(ほとんど使うことはなかったけれど)が加わった。

みんな、死なせてごめん。いずれ、あやまってまわるからね。

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2007年4月20日 (金)

パグ頭観音

Photo_32                    

パグの絵を描こうとして写真を参考にしたら、へんなイヌができあがってしまった。そこで、イメージだけで描いたら、足の大きなパグになってしまった(左図)。実際のパグの足は、バランスがわるいほど小さいのに。

それにしても、動物を虐待する胸がわるくなるような事件がつづいている。

馬頭観音も、ますます牙をむく。

どうすれば、こんなことを止められるのか。なにをすればいいのか。むかつくからとか、悲しすぎるからとか、つらいからと目をそむけてしまっては、虐待され、殺された動物たちの思いはどこへいけばいいのか。

最近になって、「こげんた事件」というものがあったのを知りました。

ネットで虐待死を公開させられた一匹のネコ「こげんた」。このことにショックを受け、公憤・義憤にかられた人々が輪になって、いま、二度と「こげんた」のような子をだすまいと、動物たちのSOSに応える活動となっているようです。ひとりひとりは微力でも、こうした輪をひろげていくことで、大きな力を生み出すこともできるでしょう。

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2007年4月14日 (土)

40年前の秋田犬クロ

 40年前のクロへ

2_6きみは、僕がものごころついた頃には、もううちにいた。

父が勤務する会社の社宅が庭つきだったので飼うことにしたわけだけど、どういった経緯でうちにきたのかよくわからない。

ただ、僕にとっては、気がついたときには、僕よりはるかに大きいきみがそばにいた。自然ときみも家族の一員と思っていたし、きみのことが大好きで、覚えていないのだけど、父によれば、いくらひっくりかえされても僕はきみに抱きついていったらしい。

小学生のころ、「ひとはどうして動物好きになるのか」といったテーマで作文を書き、少なくとも自分は「生まれながら、こんな大きな犬といっしょにいたからだ」とつづったことがある。それはそうだと、いまでも思う。動物が好きか苦手かは、親や育った環境の影響が大きいのだろう。

僕は、親戚からよく祖父に似ているといわれてきた。祖父は、道で野良犬をみると連れ帰り、翌朝祖母がなかなか起きてこない祖父のふとんをめくると、抜け毛だらけのなかで、祖父とその野良犬がいっしょに寝ていたそうだ。ただ、僕はそうした祖父とは接していない。僕が知っている祖父は、もう体をわるくして寝ているだけだった。そしてまもなく、亡くなった。僕は祖父の動物好きの姿をみていないし、知りもしなかった。それでも、僕は祖父同様の動物好きになっていた。おそらく、祖父の影響をうけた父が秋田犬を飼いはじめ、僕のその後につづく動物とのつきあいも、やはりそこからはじまったのだろう。

何度も家から脱走し、近隣のひとをもまきこんで大騒ぎをおこしたという秋田犬クロ、力が強く、母の手にはまったくおえなかったクロ、そんなきみも、僕にはおとなしく、優しいイヌとしての記憶しかない。

のちに、「動物好きなどというのは、人間づきあいのわずらわしさから逃げているだけだ」と批難されたこともある。でも、幼児であったそのころの僕に人間関係のわずらわしさもへったくれもなく、同年齢の友達ともよく遊んでいた。それでも、クロといるときが一番充実したときをすごしていたような気がする。動物好きというのは、決して人から逃げているわけではないのだ。

クロ、きみはそれを、いまにして思い出させてくれる存在なんだ。

そんなきみに、僕らはひどいことをしてしまった。

父の仕事の関係で、都心に引っ越すことになり、そこは公団住宅でイヌは飼えないからと、父はきみをひとり、父の里である滋賀の叔父宅に送ることにしたんだ。

「なんで。なんで」

と何度も問いただした覚えがある。クロと別れなければならないなんて、考えられもしなかった。

でも、その日はきた。僕の知らないうちに、きみは滋賀へ送られていった。貨物として。

引越しの日、僕は近所のひとから餞別でもらった車のプラモデルをひざにかかえ、新しい都心の家で、だれとも口をきく気にもならず、ずっとぽつんとすわりこんでいた。部屋は暗く、新しいはずの畳が、やけに湿っていたような気がする。プラモデルなんていらなかった。僕は、クロ、きみといっしょにいたかった。

それからすぐのことだった。きみが蚊にさされて死んだときいたのは。そのときは「蚊にさされてなんて」と叫んだけど、フィラリアにやられたのだろう。いつか滋賀にいけば、またクロに会えると思っていたのに、ついこのあいだの引越しの別れが、永遠の別れになってしまった。

僕は、僕ときみとのあいだを、おとなたちが引き裂いたと思った。おとななど、信じられないと思った。人間ってやつは、自分の都合ばかりで、イヌなど簡単に捨てるんだと、人をも憎んだ。僕はいま、みごとな人間関係の苦手な人間になっている。それは、このときにスタートしたんだと思う。

その後、何度か滋賀にいったおり、先祖の墓のわきにつくられた、木の棒が立てられただけの、きみの大きさからすれば小さすぎる墓、それも何度か墓地の清掃のときにかたづけられてしまったところに立ち、先祖の墓そっちのけでおまいりしたっけ。

脱走はしたけど、それでも家族と思っていてくれた僕らから離され、ひとり心細く貨車にのせられたきみ。さぞや寂しかったろうきみ。そのまま逝ったきみ。僕はきみを捨てたわけじゃない。それは、わかってくれてるのだろうか。

いまでも、動物好きである僕の心の基礎にはきみがいる。大きく大きく、きみがいる。

僕はこれまで自分の引っ越しのたびに、いっしょに暮しているイヌもネコも連れてきた。ときにペット可物件がなくて、心労からどす黒い血を吐いたこともある。けっこう、必死だよ。でも、二度と、きみとの別れのようなことはしたくない。自分の都合で、イヌやネコを捨てることはぜったいにしない。それは、小さなお墓にいるきみと約束したことだし、いったん家族となった以上は、あたりまえのことなのだ。

40年前のクロ、40年も前のことだけど、きみとのことは、現在進行形なのだ。

いずれ、また会おう。クロ、もう一度、そう呼びかけたい。

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2007年4月 7日 (土)

こたつモモ

Photo_8 こたつモモ

冬になってこたつを出すと、3頭いたネコよりも、中にもぐりこんでいるのが常でした。酸欠になってはいけないと、こたつぶとんに隙間をつくっておいたら、そこから中で寝ているモモがよくみえ、思わず写真に撮りました。

Photo_9 こたつコウシロウ

当時、うちには柴犬のコウシロウもいました。

こいつもこたつが好きで、さすがにもぐらずに頭は外に出していましたが、よくこんなかっこうで寝てました。するとモモも負けじとこたつにやってくるのですが、この写真の奥にも、寄ってきたモモが写っています。この2頭と、やはりこたつ好きのネコ1頭に占領されると、自分はもうこたつに足をいれられませんでした。

 モモのことばかりでなく、このコウシロウのことも思い出してやらなければと思いますが、コウシロウのことを考えるには、彼がうちにくるきっかけとなった近所の2頭のイヌのことも思い出さねばならず、となると、どうせなら、わが人生最初のイヌである秋田犬クロのことから思い起こしてみようと考えています。

 

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2007年4月 3日 (火)

モモへ2

Dsc_0039_1モモ、おまえは後ろ足がわるかったね。

最近になって、獣医さんでレントゲンをとってはじめてわかったことだけ  ど、おまえの大腿骨頭は骨盤の寛骨臼に半分ぐらいしかはまっていなくて、生まれつきそこがはずれやすかったんだね。だから、歩くのがつらかったんだ。

 そんなこととは知らず、小さいころから散歩につれだそうとしても、すぐにペタンとすわりこんでしまい、もうてこでも動こうとはしないおまえに、あきれかえっていたっけ。忙しいときなどは、楽でいいかとも思っていたよ。

 イヌらしくない。いつも寝てばかりいる。これも、ネコといっしょに育ったせいかなどといっていたっけ。家の中では、ふつうに歩いているようだったし、庭だと喜んで出ていったりもした。でも夜になるとときどき片方の足をあげて、はねるように歩いていることがあったね。それもいっときのことだったし、一応そのときにネコたちをみてもらっていた獣医さんにも「とくに問題はないようだけど」といわれ、首をかしげながらも、

「極端な外出嫌いなのかな。精神的なものなのかな。バイクをみると、そのときだけはけたたましくほえるのは、うちにくる前になにかあったのかな」

と思ったりもして、もう無理に外へ連れ出そうとするのはやめにしたんだ。その後も何回か外へ出てみたことがあったけど、家を出て数メートルで動けなくなったおまえを抱きかかえて、そのまま家に戻ることになったよね。

 ここ数年は、立ってるだけで腰がふるえたりして、庭にもめったに出たがらなくなっていた。たまに調子がいいときだけ、庭をよたよたしながらひとまわりしていたんだよね。写真は、そんな日の一枚で、あまり珍しく動いているのでカメラをむけたんだ。

 サクラの下にいるモモ。このときは花もちょぼちょぼだったけど、このサクラも少しは大きくなって、今年などは向かいの家がみえなくなってきたよ。花の数も、多くなった。でも、その下にもうおまえはいない。サクラをみると、歩いているおまえを思い出すんだ。おまえのすわっているか、寝ている以外の写真は、これしかないのだから。

 でも、おまえはサクラに興味なかったね。

 車にのるのも嫌いみたいで、獣医さんのところへ通う自転車のかごにのるときだけは、妙におとなしかった。表情もかえずに、通りすぎる風景をみていた。川沿いで、「モモ、サギがいるよ」といっても、知らん顔をしていたね。

 モモ、おまえはなにが楽しかったんだい。

 夜寝ようとする僕のふとんにもぐりこんでくるときが、最高にうれしそうな顔をしていたけど。それでよかったのかい。

 そんなこんなで11年。少しは幸せだったのなら、いいのだけれど。

 二ヶ月たっても、僕はおまえを求めているんだ。

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