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2007年5月12日 (土)

捨てネコたち

Photo_15 大学の2年生だったか、3年生のときだったか、学校で所属していたサークルの部室に行ったら、なにやら大騒ぎになっていた。

わたしは、考古学研究会に属していたのだが、その部室は教育学部の考古学部門の資料倉庫も兼ねていて、壁際の棚には縄文土器などが並んでいた。

そのとき、その土器の間をぬって、2頭の子ネコが走り回っていた。

話をきけば、構内に捨てられていた子ネコが入り込み、はしゃいでいるところだという。その場にいた者たちは、へたにネコに手を出そうとすると、土器を壊してしまいかねないと、動きがとれず、びくびくしながらネコたちが棚から出てくれるのを待っているところだったそうだ。そして、教授が

「だれか、早く、なんとかしろ!」

と叫んでいた。

みんな、わたしが動物好きなのを知っていたので、そろってこっちを見る。しかたないので、わたしがネコたちをつかまえることにした。これが、それまでイヌとばかりつきあってきたわたしのネコとの最初の接触であり、その後の際限ないネコ好きのはじまりだった。

ネコたちは、手をだすと、おとなしくわたしの腕のなかにおさまった。土器は、ひとつも倒れなかった。問題はその後で、そのネコたちをどうするか、だった。教授は、

「どこか遠くに捨ててこい」

といった。

そういうわけにはいかない。一度この腕に抱いたふたつの命、これはもう家に連れてかえるしかない。わたしは決意し、その日、きょとんとしている2頭といっしょに帰宅した。

家の玄関に入ったとたん、たまたま出てきた母が、わたしの連れているものをみて悲鳴をあげた。

母は、ネコ嫌いだった。

また「捨ててこい」といわれたが、これまたたまたま早く帰宅していた父が、かわいそうだととりなしてくれ、家にはいれず、庭にいる柴犬ラックの小屋におくならという条件で、2頭はうちの子になった。

ラツクとネコたちは、最初からお互いの存在を認めたようだった。なにも問題をおこさず、ネコたちはいつもラックの小屋の上で過ごしていた。写真の通りである。ちなみに、写真の右横に写っているのは、小鳥を飼っていた鳥小屋だが、このネコたちは鳥にも無関心だった。わたしは、ネコ運がいいのかもしれない。

毛色が黒いほうがオスで、たしか秋田犬のクロにちなんで「クロ」と名づけたと思うのだが、この子は数ヶ月のうちに姿を消した。オスネコは家を出ていくのがふつうだからと聞いたが、以後近所のどこにもその姿をみることはなかった。

毛色の茶色のほうがメスで、泣き声から「ミャア」と名づけたが、この子は数年、うちの庭でラックと暮していた。「ミャア」のことは、つづいてうちにくることになった子ネコたちのことを綴るときに記述しよう。

今回は、ここまで。

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