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2007年9月22日 (土)

わたしの特別な書棚から-専門書紹介-(24)

理系の視点からみた「考古学」の論争点 Book 理系の視点からみた「考古学」の論争点

著者:新井 宏
販売元:大和書房
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思わず買って、すぐに読んでしまった。

著者も本分で書かれておられるように、考古学とは人間の生活全般を相手にするものだけに、さまざまな分野からの参入が可能―いや、必要な学問である。各種遺物や遺構の分析が年々細かくなり、考古学者ひとりひとりが専門領域だけでていっぱいになってきている反面、それを綜合し、専門領域を超えた広い視点をもたねば考古学上の課題は解けないとする批判もあり、昨今はさかんに学際的研究が求められている。ただ、その呼び声は大きくても、なかなか実現に至らないのが現状ではなかろうか。わたしの動物遺体分野でも、ともすれば「予算がない」とか、「興味がない」とかで、考古学調査から疎外されることが多いのだ。

まして、他分野からの参入には、結構学会は冷たい。「素人がなにをいうか」と思っているか、専門外のことはわからないからと、あえて沈黙を守っているかなのだろう。

本書の著者は、金属関係の専門家とのことで、文系の考古学者にはとてもついていけないような専門的分析をもって、現在論争になっている考古学上の課題に挑戦しておられる。

「三角縁神獣鏡問題」、「弥生年代遡上問題」、「古代尺問題」、「金属考古学の諸問題」

これが本書にとりあげられているテーマだが、かねてより製鉄が行われなかったとされているの弥生遺跡からちょくちょく鉄滓が出土し、よく検討もされずに「弥生の遺跡から鉄滓が出るはずがない」、「なにかのまちがい」、「後世の攪乱による混入」と簡単にすまされていたことに、「それでいいのか」と考えていたわたしとしては、「弥生時代には本当に製鉄が行われていなかったか」の項目は、とくに興味深いものだった。そして、もっと専門的分析が必要だということも。

昨今の考古学者は、業績をあげるためか、理系からの都合のいい提示には、よく調べもせずにとびつく傾向があるのではないか。そして出した結論に都合のわるい反論がでると、無視する傾向が強い。

かつて古人骨の専門家が、「考古学者は人骨が出ると自分らにまかせっぱなしにするが、それも考古資料である以上、少しは自分たちでも勉強しろ」と苦言を呈されていたが、まさにその通りだろう。

ひとつの遺跡を解釈しようとするなら、その考古学者は、すべての遺物、遺構、諸科学分析を綜合してかかる必要がある。諸科学だけ別物として切り離していいわけはなく、その点、発掘報告書でも自然科学分析などはよく「付編」などとして本文のふろくのような扱いをしているが、それは姿勢として間違ったものである。このことは、ずっといいつづけているが、誰もきいてくれない。

そういえば、縄文時代の漁労について考えていたとき、ほんものの漁師さんの視点だと、どういうことになるのだろう、机上論でものいう学者とは、まったく違う意見がでるのではないか。漁師の考古学者がいたら、画期的な研究ができるのだろうな、などと思っていたこともある。

専門外・アマチュア研究者の言に冷たいのは考古学ばかりではないのだろうが、専門の世界にいると頭がかたくなってしまうのだろう。だから、画期的な発見などというものが、往々にしてアマチュアの手によることが多かったりするのだ。

もっといろんなひとが参入して、学問を自由にしなければならないと思うのだが。

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