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2007年9月26日 (水)

わたしの特別な書棚から-専門書紹介-(25)

跋扈する怨霊―祟りと鎮魂の日本史 (歴史文化ライブラリー 237) Book 跋扈する怨霊―祟りと鎮魂の日本史 (歴史文化ライブラリー 237)

著者:山田 雄司
販売元:吉川弘文館
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ずいぶん前に、正確な書名は忘れてしまったが、民俗学者か言語学者が聞き取り調査をまとめた「アイヌ伝承」に関する本を読んだことがある。そのなかに、かつて、いまのように医学が発達していなかった頃、当時のひとにとって謎の死(なんらかの病気だったのだろうが)を集落のひとびとが異常な死ととらえ、集落全体が呪われたものと考えた結果、その集落を廃して別の地にそっくり移転してしまったという話があった。これを読んだとき、考えたものだ。

発掘調査で確認される縄文時代の集落跡でも、その後も同じ地で弥生、古墳時代、古代と集落が営まれたとしても(これを複合遺跡という)、ずっと代々その土地を受け継いできたわけではないだろう。たいがい、どこかで断絶がある。なぜ、そうしたことがおこるのか。それが、ほんの一時期だけの集落跡ならば、なぜ一時期だけなのだろうか。そこに住んでいたひとびとは、どうしてその集落を捨てることになったのだろうか。自然災害でもあったのなら、その痕跡は確認できるだろう。それもないとしたら、なぜ。

こうした場合、考古学者は、気候変動がそれまでの生活を維持できなくさせたためとか、異文化の進出によってそれまでの住人が追いやられたとか、そんな理由を説く。

しかし、前述のように、その土地が「呪われた」と考えての移転ならば、そうした概念の進入を認めない考古学者、歴史学者には、解答を出せないことになる。

以前にも書いたと思うが、とくに中世以前においては、ひとびとの暮らしには、霊だ、怨霊だ、神だ、といったものが、日常生活についてまわっていただろう。現在だって、だれがどんだけ否定しても、そうしたものはひとの心に残りつづけている。実際にそうしたものが存在するかどうかではなく、ひとがそうしたものを信じていたことが重要なのだ。その心性を理解することが大事なのだ。

本書の著者はもともと「心霊写真が好きで」などと「あとがき」で学者としては勇気ある告白をされているが、のちにこうした精神世界に属することを研究テーマにすると、指導教授に「学問は正道をいけ」と諭されたそうである。しかし、歴史におけるひとびとの暮らし、社会を探るには、こうしたことの研究は、大正道ではないだろうか。

本書は古代、中世の名のある人物の怨霊伝説について、さまざまな文献を通して追求している。そして、それが古代、中世社会を構成する、重大要因であったことも説かれている。

こうした研究は、もっと正道のものとして取り組まれねばならないと思うし、本書では歴史的人物を扱っているが、民衆の生活においては、もっとさまざまな話があるだろう。それをどう探っていくかはなかなか難しい問題だが、こうしたことをはなから除外していては、本書にもあるように、血の通ったひとの歴史は見えてこないだろう。

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