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2007年9月15日 (土)

「すみれ」天国へ

わが愛しのペットたちの思い出を書き続けながら、なんだかかれらが死んだ話ばかり書いているようになってしまった。こうした場に平穏に過ごした何年ものことを書いても、読んでくださるかたには退屈だろうし、なんとも長いだけのものになってしまう。それ以上に、一頭一頭との死別というのが、つねに最大の衝撃として心に残りつづけているのだ。

新しい生命との出会いは喜びで、死別は身をきられるほどの悲しみ。とくにその後者をどれだけ真正面から受け止められるか、それが生命とむきあう上での重要課題となるのだと思う。

よく、「生き物は死ぬからいやだ」といわれるかたがいるが、死とむきあえなければ、生命ともむきあえない。われわれは、いくつもの死をのりこえながら、すべての生命に対する心、おのが身のありかたなどを学んでいくことになるのだろう。

さて、「すみれ」のことである。

クリスマス間近の頃、わたしも越してきたばかりの広くもない部屋の一角に、キラキラしたクリスマスの小物やカードを飾るコーナーをつくっていた。ツリーも置いたが、松ぼっくりだのリンゴだの、ネコが遊ぶにはもってこいのオーナメントがいっぱいあっても、「すみれ」は手を出さなかった。あいつは、ずっとそういうやつだった。

そしてイブを目の前にしたとき、なにかと忙しくて外出が多かったわたしは、外出先でも頭痛がしたり、寒気がしたり、めまいがしたり、「もう、これはたまらん」という状態で夜に帰宅した。年末までにやるべきことは、とりあえずやりおえた。これで休める。そう思って室内に入ると、まずはともかく「すみれ」のトイレをきれいにしようとした。ふとんに倒れこむ前に、「すみれ」の世話だけはしておかなければ。その日、最後の力をふりしぼる感じだった。

トイレ砂の上に、小さな赤いしずくがたれているのが目に入った。

とっさに、血尿だ、と思った。

ネコ、とくに雄ネコの血尿は腎機能に重大問題あり。即、病院へ。なにかの本にあったことが頭に浮かぶ。だが、わたしは動けなかった。座り込み、寒気がひどいので近くにあった毛布をかぶると、そこからまったく自分の体の機能が停止してしまったようだった。

「すみれ、ちょっと休ませて」そういって「すみれ」をみると、「すみれ」はなにもなかったように先にあげたごはんを食べている。

「ごめん、今日はもう動けない。明日、明日病院へ連れていくからな」

小さな声でそういうと、わたしは目を閉じ、体を横にした。

翌朝、わたしの熱は40度になっていた。とても、起きられなかった。その夕方、熱は40度をこした。「すみれ」にごはんをあげに動くが、なんだか雲の上を歩いているような感じ。意識が朦朧というより、体が朦朧としているようだ。「すみれ」は元気なく、部屋のすみで丸くなっている。

さらに翌日、熱は下がらなかった。下がりそうでも、下がらない。ひとの細胞は、42度の熱で死滅しはじめる、そんな情報が頭をよぎる。自分が病院に行く力もない。救急車でも呼んで、結果入院ということにでもなれば、「すみれ」を置いていくことになる。それはできない。病気は、家で自分で治すしかない。「すみれ」も、みるからに具合が悪そうになっている。寝ている呼吸が常ではない。「すみれ、もう少し待ってくれ」そうつぶやくしかなかった。

結局何日寝込んだか、覚えていない。それでも、ようやく熱が下がりはじめる前日の夜中、ふと目覚めると、枕元に「すみれ」がちょこんと座っていて、じっとわたしを見つめていた。

「ああ、すみれ。おまえは立ち上がれるようになったのか。よかった。ぼくももう少しだからな」

ぼんやりとした頭でそう考えると、とにかく「すみれ」は動けるようになったんだということで、ちょっと安心してまた目を閉じた。

その翌朝、というかもう昼頃だったかもしれない。目が覚めて熱をはかると、39度代になっていた。まだだるくふらつくけれど、明日には動けるだろう。気分がやや明るくなって、先に元気になったはずの「すみれ」を目で探すと、「すみれ」はまた部屋のすみで丸くなっていた。具合がわるそうだ。

夜中の「すみれ」の姿は、なんだったのだろう。そんな疑問と心配で気持ちは乱れたが、「とにかく、明日になれば、すみれを病院に連れていける。絶対、いく」 そう心に決めた。

しかし、その日の夜中だった。わたしの熱が38度代までさがって、雲ではなくちゃんと床を踏む感じをとりもどしてふとんから出てきたら、「すみれ」は別の場所に移動し、そこで横倒しになって呼吸困難になっていた。体が、痙攣している。緊急事態。

わたしは、まだつきあいもなく、なんの評判もきいてないが、近所で目をつけていた動物病院へ走った。「すみれ」を連れていける状態ではない。獣医さんをひっぱってこよう。とにかく、すがりつこう。とっさのことで、事態を冷静に考えている余裕はなかった。まだ頭がぼうっとしている状態で、思考能力なんかなかった。熱がさがりきってないのに、真冬の夜中に外に出て自分は大丈夫かと思ったのは、もう走っているときだった。

忘れていたけど、もう夜中だった。獣医さんも診療を終えている。でも、病院の明かりはまだついている。わたしは、扉を叩いた。何度も叩き、ほかにブザーかなんかないかとうろついた。中からは、なんの反応もなかった。あとで知ったことだが、獣医さんはそこに住んでいるわけではなく、そのとき内部は無人で、明かりは防犯のために一晩中つけていたのだそうだ。

わたしは、すべなく家にもどった。それから何分もたたないうち、「すみれ」の呼吸がとまった。

何度も、何度も、「すみれ」の名前を呼んだ。体をゆすった。息をふきこもうともした。でも、「すみれ」はそれっきりだった。二度と動くことも息をすることもなかった。おわってしまったのだ。

引越しの騒動以来、やはり大きなストレスを受けていたのだろう。「すみれ」の体内でなにかが崩れ、病気を発動させたのかもしれない。それが目にみえる形であらわれたとき、あろうことか、わたしが寝込んでしまっていた。もう一日、わたしの発熱が遅かったら。わたしが倒れるより先に、「すみれ」を病院に連れていけていたら、あいつは助かったのだろうか。

すべては、繰言だ。

呆然だった。いまでも、呆然としたまま、といってもいい。

わたしの病気に合わせるようにして倒れ、わたしの回復と入れ替わりに逝った「すみれ」。

あの夜中、枕元でわたしを見ていた「すみれ」は、わたしに別れをつげていたのだろうか。それ以上に、わたしには、「すみれ」がわたしの病気のかたがわりをしてくれたような気さえする。

「すみれ」は死んだ。その最期にいた場所は、わたしが飾ったクリスマスの飾りの真下だった。「すみれ」の遺体の上で、オーナメントがキラキラ輝いていた。

「すみれ」は、光に包まれて天国にいった。

10年には満たなかった。それでも、密度の濃いつきあいだった。

「すみれ」、ありがとう。いまでも、おまえの大切なぬいぐるみは、わたしのそばにある。

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コメント

私の弟の友達が大きな犬を飼っていたそうです。母から聞いた話なんですが・・・
よく聞いてみるとゴールデンのようなんですが、大事に大事に
可愛がってたわんちゃんが亡くなった時の悲しみを私の母に
『父が亡くなった時には涙が出なかったのに何日も泣いて暮らしたんです。』と話したそうです。その方のお父さんも長く患っていたのかもと、色々考えますが、気持ちが分かるんです。
きっと、すみれちゃんは幸せでしたよ、傍に居てくれただけで、
別れの時が淋しくなかったと思います。
我が家の、猫タマも私の腕の中でお別れしました。
2004年11月・・・まだ、思い出すと涙が出ます。
天国ですみれちゃんとタマがお友達になっているかも・・・

投稿: ひめちゃんママ | 2007年9月17日 (月) 01時36分

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