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2008年3月

2008年3月30日 (日)

柴犬・幸四郎(つづき)

さて、幸四郎がうちにきた。でも、2歳だというのに、この幸四郎くんは、若イヌらしい元気さはまったくみせなかった。なによりも、やたらと咳こむのが気になる。そこで、私がひきとったという報告がてら、幸四郎が保護されていたという獣医さんのところへ行ってみた。

いつもネコたちをみてもらっている獣医さんに行こうかとも思ったのだが、そっちの獣医さんにも一度ぐらいは顔を出すのが礼儀だと考えたのである。

行ってみた結果、幸四郎の健康チェックはすでに済んでいて、なにも問題はないはずだという。となると、咳こむのは、ストレスからくる精神的なものではないか、と思えた。

ストレス――ないわけがない。どのくらいの期間かはわからないが、街中をひとりでさまよっていたのだ。頼りになるはずの、もとの飼い主から離れてしまって。

その獣医さんのもとには、保護されていたとき幸四郎がしていた首輪がのこっていた。汚れがこびりつき、あちこち敗れてひどい状態だ。鑑札など、もとの飼い主がわかるようなものは、なにもない。というよりも、本来の色もわからないようなしろものだった。あまりひどいので、早々にきれいなものに取り替えたらしい。この首輪をみていると、もとの飼い主との関係も、あまりいいものではなかったような気がした。

ともかく、まずは私という人間に慣れてもらわなければと思ったが、思うまでもなかった。幸四郎は、出会ったときから、私のそばにべったりついていて、前にも書いたが、ちょっとトイレにいくために離れただけでも、「ヨヨヨヨ~ン!」という悲しい叫びをあげつづけるぐらいだ。この声が、こっちの精神にダメージを与えてくる。短気な人間なら、耳障りだと怒りだすところだろう。近所への迷惑にもなる。

すでに、慣れてはくれている。だけど、精神的に受けているダメージは、かなり大きいようだ。いっしょに暮らしていくには、これはなんとかしなければならない。

幸四郎は、分離不安という状態になっているのではないかと考えた。ひとりぼっちになることを、極度におそれ、常にそばにいてくれとせがんでいるのでは。

だとすれば、犬からの要求に「へい、へい」と応えるわけにはいかない。私は、幸四郎が「ヨヨヨヨヨォーン」となきだしたときや、咳こみだしたときも、極力無視することにした。

無視して、無視して、おとなしくしているときは、こっちから思いっきりかまってあげた。そして、そんなこんなでひと月ほどたったころ、いつのまにか幸四郎の「ヨヨヨヨヨォーン」も「ゴホゴホ」も止まっていた。

同時に、顔つきもかわってきた。強く要求して応えてもらえなくても、私が自分を見捨てる人間ではないと、わかってくれたのかもしれない。

ときに、幸四郎が笑顔を浮かべているような気もしてきた。卓上にある人間の食べ物に口をだしてはいけないことも、すぐに覚えた。排泄に関しては、しつけをしなくても、もともとそれは外でするものだと思っていたのだろう、用をたしたくなると自分から玄関にいくので、私はそのときに庭に連れだしてやればいいだけだった。

こうして、幸四郎は日々元気がでてきたようなのだが、外にでるとその元気も満開になるのに、家のなかでは、動きがなくなってちぢこまっているのは変わらなかった。家のなかというのが、これまでの生活で、あり得ない場所、ずっと自分のいるべき場所としては認識されていなかったのかもしれない。ただ、車にのるのは大好きで、散歩に行こうと玄関をでると、まず道路へ進むよりも駐車してある車の前にすわり、扉が開くのを待とうとするのだった。

そんな車にのせて、幸四郎をいつもの獣医さんのほうに連れて行ったこともある。その獣医さんは、幸四郎をひととおりみて、

「保護していた獣医さんは、2歳といってたって? ふ~ん……」

といって考えこんでいるよう。このことばのつづきを聞くのは、ずっとあとになってからであった。

そしてそのころ、パグの子イヌが生れたので、いつひきとるか、という電話が頻繁にかかってきていた。

子イヌを生後すぐに親兄弟とひきはなすのは、よくない。それに、いまは幸四郎で手いっぱいなので、「子イヌは3カ月、いや4カ月ぐらいは親もとにおいといてくれ」との返事を繰り返していた。

そんなこんなで数ヶ月たったが、幸四郎にはどうしてもなおらない面もあった。

それは……。

                    ※         ※

ここまで書いただけで、けっこうな文字数になってしまった。中途半端だけど、このつづきは、また次回にさせてください。

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2008年3月23日 (日)

鎌倉漂着のウサギ骨

Photo

久しぶりに、本業。

鎌倉漂着骨のうち、ウサギの右下顎骨です。

写真右側が顔の先になりますが、その先端と後端の下顎枝部分が欠けています。

ノウサギとアナウサギ(飼いウサギのもと)では形が少々違うのですが、これはノウサギのものと思われます。

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2008年3月16日 (日)

柴犬・幸四郎

メグの件があった一週間たつかたたないころ、「子イヌが生れるから、ひきとらないか」という誘いの電話がまたかかってきた。

でも、メグの場合はやむを得ないこととして、やはり積極的にイヌを飼う気にはならなかった。

ただ、いつかは飼おう。そのときは、小型ではなく、世話のたいへんな大型でもなく、ボーダーコリーあたりを憧れの犬種にしておこう、などとは考えていたけれども。

しつこくかかってくる電話に何度も断っていたある日、また裏のおばさんがやってきた。いきなり、

「約束どおり、わたしがイヌをさがしてくるから」という。

約束なんかした覚えはない。あわてて、

「いいえ、そんなことしなくていいんです。ほんとにいまはイヌを飼う気はないんですから。メグの場合は緊急事態でしたから…」としきりに手をふって見せる。それなのに、

「いいから。まかしといて。これでも責任感じてるんだから」

おばさんは、勝手にいうだけいって帰っていった。そして、2~3日したら、またまたやってきた。

「わたしのいってる獣医さんとこに、保護されてて里親を求めてるイヌがいるんだよ。その獣医さんがはいっているマンションの上に住んでいるひとが、横浜の町をさまよっていたそのイヌを保護して、都合よく下の獣医さんに預けたんだけど。そのうちには小学生のこどももいてね。イヌに新しい飼い主ができるかどうか、毎日心配しているんだよ」

例によって、まくしたてるおばさん。話を理解しようとしつつ、途中何度も断っていたのだが、まったくきいてくれていなかった。

「わたしがひきとれればいいんだけど。うちには、ネコがいるからさ」

知っている。黒ネコの「さっちゃん」だ。よく我が家の庭にもやってくる。でも、ネコならうちにもいる。それも3匹も。

「うちもネコで手いっぱいなんです。無理なんです」

あくまでもそう拒絶すると、おばさんは、

「明日にでもそのイヌを連れてくるからさ。一目みてから決めてよ。見るだけでも、さ。ねっ」

とだけいって、その日は帰っていく。連れてこられたら、たまらない。一目見てしまえば、もう断れなくなる。それは、自分でよくわかっていた。

「だめです。連れてきたりしないでください」

そう叫んでも、おばさんはこたえなかった。

翌日、おばさんはイヌを連れてきてしまった。

「子イヌじゃなくてわるいね。獣医さんは、2歳ぐらいの柴犬っていってたけど」

そのイヌは、おばさんの横で、おどおどしながらこっちをチラチラ見ていた。2歳のわりにはなんかじじくさい感じがする。これも、町をさまよっていたせいだろうか。これまで、どんな日々を過ごしていたことか。

ああ、だめだ…。

やはり、もう断れなかった。目のまえにしてしまえば、見捨てることなどできるわけがない。どうしようもないじゃないか。

わたしは、イヌのリードを受け取った。

「それじゃ、よろしくね」

おばさんは、満足いっぱいの足取りで帰っていく。どうしようもないのだ。

わたしは、そのイヌを家の中につれてはいり、不安だらけで小さくなっているその子の名前をまず考えた。ちょうど、テレビで松本幸四郎さん主演のドラマをやっていた。安易な気もしたけど、すぐに、イヌにも「幸四郎」と名づけた。ついでに、苗字も「松本」にした。このイヌは、これからは「松本幸四郎」だ。つけてみると、もうそれしかないように思えた。ネコたちは、どこかへ姿を隠した。しばらくすると、チャミだけが出てきて、離れた位置からこっちをじっと見ていた。

「幸四郎」は、どんな名前にも興味なさそうだった。下目づかいにこっちを見つづけ、なんとも、弱々しい姿。体は小さくふるえているようだし、ゼイゼイとちょっと咳き込むような息をしている。そのうえ、わたしがちょっとでもそばから離れようとすると、とたんに「ヨヨヨヨヨォーン」と大きく悲しげな声をあげる。おとなしいことは、おとなしいのだけど…。

これは、手のかかるイヌをひきとってしまったのかも。

そう思って、とりあえず一晩すごした。幸四郎のそばにひっついて。

翌朝、その頃すれ違いが激しく、もう顔をあわせる時間も少なくなっていた当時の妻と、たまたま面とむかった形で顔をあわせた。裏のおばさんの行動については、少ない時間でも一応伝えていたのだが、彼女は幸四郎をみると、こうなると思ったという顔をして、またそれとは別のことをいった。

「このまえ、あなたがいなかったとき、また子イヌをもらってくれって電話があってね。どうしても貰い手がつかなくて困っているっていうから、ひきうけといたよ」

一瞬、頭の中が空虚になった。なんだって?

「イヌはパグだって」

妻はそれだけ伝えると、自分の仕事にでかけていった。

柴犬がきた。もうじき、こんどはパグがくる。

なんてことだ! なにがどうなって、こうなるのだ!

しばらく、その場を動けなかった。

とりあえず、わたしの頭から、憧れのボーダーコリーが姿を消した。

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2008年3月 9日 (日)

パグ絵・減点パグ

Gentenpug

先日ラジオで、なぜかいまごろ、むかしNHKでやっていた「減点パパ」の話をしていた。

自分はその番組のセットなど、うろ覚えでしかないけれど、

そういえば、司会の三波伸介さんも、「パグ属」だったなぁ、と思った次第。

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2008年3月 2日 (日)

イヌ騒動のつづき

メグについての話は、いま思い返しても、どうにも気がおさまらないことで、前回につづいて話をかいてしまおうと思う。

メグがうちにきて1週間ほどたった頃だろうか、仲介役の裏のおばさんが、えらくあわてたようすでやってきた。そして、いった。

「あのひとが、イヌを返せっていってるんだよ。ゆうべまた酔ってうちにのりこんできて、もう大騒動だったんだ。しょうがないから、話をつけるって約束したんだけど、どうか、こういうわけだから、イヌを返してやってくれないか」

あのひととは、むろんメグとハスキーの飼い主だった飲んだくれおやじだ。おやじは、わたしがメグを連れて散歩しているようすをどこからか見ていて、悔しかったのか、どうにも惜しくなってしまったようなのだが。

こういうわけも、そういうわけも、いきなりで、とてもきける話ではなかった。むしょうに腹がたったけど、すぐに、ここは冷静にならなければならないと思った。

「ともかく、そういうことなら、直接あちらと話し合いましょう。それしかないでしょう」

そういって行きかけると、おばさんはあわてて行くてをさえぎった。

「だめだよ。そんなことしたら、あんた殺されるよ。ゆうべだって、そうわめきながら、わたしのうちで大暴れしたんだ。イヌを返さないと、殺してやるって。長年のつきあいのわたしにさえああなんだ。いまじゃ一日中酔ってるひとだし、やるといったら、ほんとにやるひとなんだから」

どんなやつなんだ、と思った。以前、近所中に大声を響かせていた。どうも借金のとりたてにきた者を相手にして、「この泥棒野郎! いいかげにしないと、ただじゃすまないぞ!」と怒鳴りつけているようで、取り立てられているほうが暴力的だなと驚いたことがある。想像をこえるほど、まともなやつじゃ、なさそうだ。

「ほんとに、殺されるよ。やられるよ!」

おばさんも必死で、かさねていう。ゆうべはゆうべで、そうとうなことが起きたらしい。でも、

「まあ、いいか」、と思った。

それでも、行くしかないだろう。相手が暴れても、一方的に殺される気はないが、もし殺されても、それはそれで、この一件は近所のもめごとではなく、もっと大きな社会的な問題になる。そうなれば、死んでも、無駄死にではないだろう、と考えた。そして、やっぱり行こうとすると、おばさんは泣き顔になって叫んだ。

「冗談じゃないよ。あんたが行けば、あとでわたしがなにをされるか。あんたの問題だけじゃなく、わたしまでとんでもない目にあわされるんだ! それじゃ、こまる! お願いだから、ここはわたしにまかせて、イヌを返してやってくれよ! わたしの立場も考えて!」

足がとまってしまった。そうか、忘れていた。このおばさんまでひどい目にあわすわけにはいかない。わたしは、考えこんでしまった。その間もおばさんは、何度も「頼む」を連発し、「そのかわり、ちゃんとイヌの面倒をみるように説得するし、わたしも監視してるから」とすがりついてくるようすだった。

そして、ついに、負けてしまった。あのおやじがちゃんとイヌの世話をするかは疑問だった。でも、おばさんにそうまでいわれて、もうまかせるしかないと思ってしまった。小さくうなづいてメグを家の中から連れてくると、おばさんはもう手に古びた首輪とリードをもっていた。もともとメグがつけていたもので、カバンにいれてもってきていたのだ。

首輪をつけかえると、おばさんはメグを連れて早々にひきあげていく。わたしは、ずっとその姿を見送った。あっけないことだった。メグは、いそいそともとの家に向かっていく。うれしそうにさえ見える。

「メグ、それでも、あの飼い主がいいのか」

後姿にそうつぶやくと、一気に寂しさと無力感が襲ってきた。

その後しばらく、問題のおやじの家からは、イヌの気配は感じられなかった。頑丈な塀のせいで、中も見えない。心配していたある日の夕方、そこから「おすわり! おすわりしろ!」というおやじの声が聞こえた。ごはんタイムに、いまさらながらのしつけをしているらしい。

なにはともあれ、イヌの世話はしているらしい。散歩する姿は見えないが、ともかくイヌたちは生きているのだ。問題は解決したようには思えないが、そのことで少しだけ安心し、そしてまた、しばらくなんの声も気配もしない日がつづいた。

そして、2~3週たったときだったろうか。ほんとに、メグとハスキーはあそこにいるのか、とまたまたどうにも気になってしかたがなくなったとき、道で裏のおばさんに会った。イヌたちのことをきくと、おばさんは口ごもりもせずに、

「保健所にやっちゃったって」と答えた。

「なんですって! いつです」とつめよると、もうちょっと前のことだという。

それは、塀の向こうから「おすわり」の声をきいた、わずか数日後のことだったらしい。

保健所とは、正確には動物愛護あるいは保護、管理センターのことで、飼い主が放棄したイヌは、数日のうちには殺処分されることになってしまう。ということは、日にちを数えるまでもなく、その時点でもうメグもハスキーも生きてはいないことになる。

なんてこった!

頭のなかが、真っ白になった。

いまからでは、どうにもしようがないではないか。

おばさん、あんた請け負ったよな。監視するっていってたよな。そういいたいが、口も動かなかった。おばさんは、

「イヌならさ、わたしがまたみつけてきてあげるから」という。

「イヌがほしかったわけではありません!」

それだけいうと、わたしはその場を立ち去った。なにかが、大爆発をおこしそうだった。

メグを助けてあげられなかった。せめて、いっしょに死んであげられたらよかった。

その夜、部屋にのこされたまだ真新しいメグ用の首輪、リードなどを見ながら、ひたすら悔しさと自己嫌悪にまみれた。

あまりに短いつきあいで、写真もまだ撮ってなかった。もっと、楽しいおもいをさせてあげたかった。

抱きしめて、生きててよかったと感じてもらいたかった。

メグ、ごめん。この仇は、なにかの形できっととるから。

そう思いつつ、わたしは、いまもなお生きながらえている。爆発しそうななにかを抑えつつ。

          ※            ※

こどものころ、ほんとうに霊魂というものがあるなら、将来死んで、この不自由な肉体をぬけでたら、その瞬間から、虐待されている動物たちを助けてまわる霊になりたい、と考えた。

いいとしになって、またその「夢」を思い出した。そして、それを再び将来の「夢」ときめた。

いつ、その夢はかなうのだろうか。

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