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2008年5月

2008年5月25日 (日)

パグ絵・「新緑」のはずだった

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2008年5月18日 (日)

ニャアちゃん、大往生

その日は、なにげなくやってきた。

ニャアちゃんはじっと静かにしている時間が多くなったものの、食欲などには変化はなかった。うちでは、イヌのごはんは床、ネコのごはんは高いテーブルの上と決めていたが、その日の朝も、いつもどおりニャアちゃんはテーブルにひらりととびのり、ごはんを食べていた。わたしは、それをみて、こちらもいつもどおり仕事にでかけていった。

夕方、帰ってくると、幸四郎・モモ・チャミ、ちょっと遅れてトラが玄関まででてくるものの、ニャアちゃんの姿だけがなかった。居間までいくと、ニャアちゃんはそこでまるくなって寝ていた。熟睡しているようだった。

ネコが寝ていることは珍しくない。ニャアちゃんもそのうち起きてくるだろうと思った。

ところが、なかなか起きてこない。いままで、そんなことはなかった。帰宅したとき寝ていても、すぐに起きてそばにやってくるのが常だった。

「これは、おかしい」と思った瞬間、その頃日増しにおそれるようになっていたそのときがついにきたのだ、ということも、一瞬にして感じとってしまった。

「ニャアちゃん」と声をかけても、反応はない。寝息は少し乱れていたけど、苦しそうではなかった。ニャアちゃんは、まもなく逝く。それが確信となったが、そのことをわたしは不思議なほど冷静にうけとめていた。すぐに獣医さんに、とは思わなかった。このまま静かに逝かせてあげよう。それだけを思った。

わたしは、寝ているニャアちゃんのそばにすわり、ずっとようすをみつづけた。

夜の10時をすぎた頃だっただろうか。急にニャアちゃんが目をさまし、むっくりと起き上がると、わたしのほうにきて、膝のうえにのってきた。

膝のうえにいたのは、数分もなかったと思う。ニャアちゃんはまたもとの寝場所にもどると、再び寝はじめた。今度は、乱れもない、静かでおだやかな寝息だった。

わたしには、わかっていた。それまでのネコたちと同じだ。ニャアちゃんは、お別れを告げに起きてきたのだ。

その後、ニャアちゃんは眠りつづけた。そして、夜中の3時すぎ、ずっとニャアちゃんを見ていながらも、さすがにちょっとうとうととしてしまい、「はっ」と思ってニャアちゃんの鼻先に顔を近づけたとき、ニャアちゃんの呼吸がとまっていることに気づいた。

その日の朝は、ふつうにごはんも食べていたのに。病気になってたたかうこともなく、苦しみにもだえることもなく、そよ風がふっと吹くように、ニャアちゃんは逝ってしまった。

これでよかったのだろうか、と思った。

長年外で自由に生きていたものを、わたしが勝手につれてきて、家の中だけの生活を強いたのだ。そのことを、ニャアちゃんはどう思っていたのだろうか。

わたしにとっては、ニャアちゃんは愛すべきおばあさんネコで、われらの長老だった。

いっしょに暮らしてくれて、ありがとうと伝えたい。

このあと、チャミがいつものように、ニャアちゃんとくっついて寝ようとしてやってきた。そしてニャアちゃんに触れたとたん、チャミはとびあがってその場から逃げだした。チャミはニャアちゃんが死んだことを一瞬で悟るとともに、ショックもうけたのだろう。

こうして、ひとりと5頭の一角が、ついに崩れてしまった。

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2008年5月11日 (日)

猫返し神社

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こういう神社があるのを、最近知りました。

行方不明になったネコの帰還と無事を祈るための神社のようで、立川市の阿豆佐味天神社内に設けられてました。

多くの行方不明になったネコに思いを寄せるひとたちがつるした絵馬をみていると、せつなくなってきてしまいます。中に受験の合格祈願と書いたものもありましたが、これは効力があるのでしょうか。

狛犬ならぬ狛猫が、やけに悲しそうにみえました。

なんとか、どこかで交通事故死しているようなネコたちがいなくなるようにはしたいものです。

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2008年5月 4日 (日)

ひとりと5頭

ネコのニャア、チャミ、トラ、イヌの幸四郎とパグのモモ、かれらと暮らした日々が、ただただ懐かしい。

これだけいると、毎日だれかが問題となる。

ニャアは年老いてきて健康が心配だし、チャミは元気でとびまわり、しょっちゅう机や棚の上のものをはねとばしていたし、いっぽうでは皮膚が弱くて頻繁に獣医さんのお世話になっていた。ひとなつっこいネコだったので、診察台の上で獣医さんの腕に甘えまくり、「なんだ、この子は? こんなネコは初めてだな」といわれて笑われた。反対にトラはおとなしく、モモと遊んでないときは、病気ではないかと心配するほど静かだった。

幸四郎もシジくささが日ごとに増し、家のなかではひとり静かなところにいたがり、二階の私の仕事部屋へ隠れにいくものの、ときどき夜中など、階段から落ちてびっくりさせられることがあった。

モモはべたべたで、近所のひとにもかわいがられていたけれど、なぜかバイクの音が大嫌いで、宅配や郵便やピザの配達のひとが近くにくると、おさえられないほど大騒ぎをしていた。

ときには、そろってわるさをすることがあった。わたしが留守のあいだに、高い棚の上においてあった切り干し大根をネコが下に落とし、幸四郎とモモがちゃっかり食べてしまうなんて共同作業もやってくれた。それでも、わたしが帰宅すると、全員がドアの前になにくわぬ顔で勢ぞろいしており、わたしを王様になったような気分にもさせてくれた。

わたしの前で、甘えたい幸四郎とモモがもめはじめることもあったが、大声で「やめ~い!」というと、そろっておすわりし、わたしの目をみていっぺんに静かになった。留守中はどうだろうかと心配になり、おとなりの奥さんにきいてみたけど、「だれもいないみたいに静かですよ」とのこたえに安心もした。

そうこうしているうちに、当時妻だったひとはいよいよ離婚への決意をかためたようで、帰ってこない日がふえてきた。

仕事面でも、マンガをとるか考古学をとるかといった状態になり、たまたま縄文時代早期の埋葬人骨を掘るというめったに出会えない機会があったことから考古学を中心にすることにしたら、その後調査団と担当の役所の文化財係との関係がうまくいかず、ごちゃごちゃしたあげくに調査団の解体になってしまった。せっかくだったのに、仕事の続行ができなくなったのである。

しかたないので、民間の発掘会社で考古学をつづけようとしたが、民間の会社というのは、考古学をやる場ではなかった。そういう場所で仕事をするというのは、研究者の魂を売るようなものではないかという者もいたけど、5頭をかかえ、理想はいってられなかった。そこで仕事をするしかなかった。ワクチンやら治療やらでしょっちゅぅお世話になる獣医さんへの支払いもたいへんだったのだ。

私生活面であれこれ悩むうち、もう自分の希望など、どうでもよくなった。ともかく、いまいる5頭をそれぞれ寿命がつきるまで、なんとしてでも面倒をみなければならない。それだけが、自分に課された使命のようなものであり、それが果たせるまではがんばらなければならない。ただし、それが終れば、もう自分の人生などどうでもいいのだ、終ってもいいとまで考えた。とはいえ、それも少なくて10年。もしかしたら、15年か20年。結構ながいものだと思ったものだ。

ところが、5頭そろっている時期は、そんなにながいものではなかった。

       ※            ※

このあとは、残念ながら、悲しい話ばかりしなくてはならない。

それを書くのは、ふさがっていた傷をひらくようなもので、ちょっと覚悟が必要になる。

つぎにこのつづきを書くときまでに、もう一度気持ちを整理しておこう。

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