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2008年6月

2008年6月29日 (日)

チャミの死

チャミの死について書こうと思う。

あとから考えると、その前兆は、まえの晩にあった。

チャミはほかの子とちがって、コタツが大嫌いなネコだった。こたつぶとんの外から中をうかがっても、決してなかにはいろうとはしなかった。

それが、その晩にかぎって、こたつのなかにはいっていた。

2月のめちゃくちゃ寒い日だったと記憶している。

柴イヌ・幸四郎を死なせたあと、まもなくペット可という現在のマンションに越してきて、1年半ほどたったときだったはずだ。

チャミにとっては、2回目の引越し。前回同様、引越しのストレスなどまったくないように、すぐに室内すべてをつかって跳びまわっていた。その点、体が大きくいつもどこかで寝ているトラとは対照的だった。相変わらず、外にはださない。そのかわり、室内では好きにさせていた。棚のうえ、テレビのうえ、邪魔なものは全部はねとばし、チャミはそこでのびのびとしていた。おかげで、陶器やガラス製品などをいただいても、どこにも飾れないありさまだった。

それでも、1年たったころから、いくらかチャミの寝ている時間がふえていたようだ。チャミもそろそろ老域にはいるころだなとは思ったが、おきているときの爆発的な元気さをみていると、まだまだ心配するようなこともなかった。

だから、その晩こたつにはいっているチャミをみたときも、「なんだ。珍しいな」としか思わなかった。チャミも、わたしにみつかったのを恥じるように、すぐにこたつから跳びだしていった。そしてそのまま、わたしは寝てしまった。

翌朝、目がさめると、瞬間的に感じた。なにか、へんだ。部屋中の空気がとまっているような感じ。なにかが足りない。いつもあるはずの気配というかぬくもりというか、そんなものが消えている気がした。

「なんだ。まさか」と思って部屋中をみまわす。

モモは、わたしの寝ていたふとんでまだ寝ている。トラは、押入れのなかで寝ていた。チャミは……。チャミは……。

しばらく探しまわった。でも、チャミの姿がみえない。

ふと、こたつが気になった。いつもなら、そんなところにチャミはいない。でも、ゆうべは、どうしたわけかそこにいた。

わたしは、「そんなことあってくれるな」と神に祈りつつ、こたつぶとんをめくった。

そこに、チャミはいた。

横たわっていて動かない。抱き寄せてみると、体はまだ温かくてやわらかかった。だけど、頭はわたしの腕の外へだらりとさがり、呼吸はとまっていた。

なにがおきたのか、さっぱりわからなかった。

わたしは、チャミを抱いたまま、「うそだ。うそだ。こんなのうそだ」といいつつ、あっちの部屋、こっちの部屋と歩きまわった。なんでそんな行動になったのかわからない。そうでもすれば、チャミが息をふきかえすかも、そんな思いがあったのかもしれない。

でも、チャミの息はとまったままだった。

わたしは、チャミの死を受け入れたくなかった。認めたくなかった。まだだ。まだ死ぬわけがない。いつものように仕事にいって、かえってくれば、元気になって跳びついてくるんだ。

そんなことを考え、わたしはチャミをしいたタオルのうえにのせ、モモとトラの世話をすると、いつものように仕事に出てしまった。帰ってきたら、生きかえっているかもしれないのだ。

そして夕方、わたしは帰宅した。

室内は、朝のままだった。

わたしは、へたりこんだ。モモがよってきて、トラも部屋のすみからこっちをみつめている。

室内は暗い。わたしは、ともかく灯をつけた。いつものように。きのうまでの生活が今日もつづいているように。

それでも、やっぱり、チャミは戻ってこなかった。

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2008年6月22日 (日)

愛しのチャミ

とうとう、チャミとのわかれを書く番になってしまった。

でも、すぐには書きたくない。

伝染病にはつよかったチャミ。

でも、ずっと体は小さくて、皮膚のよわかったチャミ。

反面、動けば突発的で、なんでもかんでも跳ね飛ばしてしまうやんちゃな子。

静かにしているときは、どこにいるかわからないぐらいで、気づくと、ラジカセやテレビの上で置物になっていたり、ポットの上にのっていたり……。

いつもわたしが家に帰ると、どこからかすっとんできて、肩にのるようになり、水嫌いだったのにいつのまにかいっしょお風呂にはいってきて、入浴中はバスタブの蓋の上で待機、いざ寝るとなると、布団にとびこんできてわたしの胸の上で寝るようになっていたチャミ。

ニャアちゃんになつき、トラを呼び込み、幸四郎やモモといっしょに寝てあげていたチャミ。

これまでともに暮らしてきたイヌもネコも、どの子もみんな特別だった。それぞれとのわかれも、悲しくつらいものだった。でも、チャミとのわかれは、ショックが大きかった。

それは、あまりにもその前兆を感じなかったからかもしれない。

瞬発的に動くチャミは、瞬発的に去っていった。

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3

4

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つづく

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2008年6月15日 (日)

遺跡から出土したイヌたち その1

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             ※                 ※

人間と動物がどうかかわってきたか。

動物考古学という分野では、日夜それを考えつづけています。

そして、遺跡から出土する動物たちのことを、学者だけではなくて、もっと一般のひとたちにも知ってほしい、と思うのです。

それというのも、発掘調査で得られた情報というのは、考古学者だけのものではなく、本来みんなのものだからです。

そして、そのためには、なにをどうしていったらいいのか、いま、あれこれ試行錯誤しているところです。

ここに載せたのも、そうした試みのひとつとして作ってみたものですが、できればこれをつづけて、いずれなんらかの形に発展させられたら、と考えています。

どんなものでしょうか。

遺跡からの出土品としては、お宝的なものは話題にもなり、多くのひとの知るところともなります。でも、動物の骨は、なかなかそういうあつかいはうけない。残念なことです。

動物考古学者としては、出土資料の分析件数をふやし、論文をかいて業績をあげていく、という道もあるでしょう。でも、現在の人間と動物との関係を考えるとき、歴史的にはどうだったかを把握しておくことも大事なことです。

そのために、いろいろと調べ、みなさんにも考えてもらうための情報を提供する。そうしたことに努めるのも、この世界に足をつっこんでしまったもののお役目でしょう。

ただ、自分でも、よわってしまう点があります。

それは、考古学は人間科学に属する学問であり、動物考古学者も当然人間側にたった視点でものをみるわけなのですが、わたしはどうしても、動物側にたってしまうことです。

ひとが動物をどうあつかってきたかではなく、動物がひとにどんなあつかわれかたをしてきたのか、というように。

そんなことだから、わたしは学問の世界からはみだしてしまったのかもしれません。学問という場が、息苦しくてしょうがなくなってしまうのです。どうにか自分をおさえなくてはといっても、そうなってしまうのだから、これはどうしようもありません。

でも、学問というのは、その成果を未来へとつなげていくもの。だから、今後も、わたしはわたしなりに、これからひとと動物はどうつきあっていけばいいのか、それを考えつづけていきたいと思っております。

偏らない視点を保ちつつ。

はるか縄文のむかしから、ほんの昨日までの過去、そして現在をみつめながら。

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2008年6月 8日 (日)

幸四郎の最期

後肢がまったくたたなくなった幸四郎は、寝たきり状態になった。

お気に入りだったソファーの横に専用の毛布やタオルをしき、一日中そこにいる。前肢はまだ元気らしく、上半身だけはもちあげられる。彼はそこに、中途半端な「ふせ」といったかっこうで、わたしが食事を運び、飲み水をそろえてくれるのを待って日々をすごした。

たいへんだったのは排泄で、自分で用をたしにいけないので、とりあえず朝はわたしが抱きかかえて外に連れだし、庭ですませることにしたが、問題はその後だった。

わたしは日中、仕事にいかなくてはならない。健康なときなら、排泄も私の帰宅までもつのだが、幸四郎にはもうそれは無理のようだった。がまんしきれなくなると、横になったまま「たれながし」ということになった。大のほうもそのまますることになる。そのうえ、幸四郎は動けないものの、その場で寝返りをうつように転がったりして、結局下半身が排泄物まみれになってしまうのだった。ネコたちやモモも、なんともできない。幸四郎は汚れたまま、私の帰宅を待つことになった。

わたしは帰ると、まず幸四郎を抱きかかえて風呂場に連れて行き、汚れた部分をきれいに洗い、濡れた体をかわかすと、やはり汚れた毛布やタオルをきれいなものにとりかえ、汚れものはすぐに洗濯する。これが、毎日の日課となった。

たまに帰宅が遅くなるときがあった。そんなとき、家にはいるなり「幸四郎」と声をかけると、幸四郎はうれしそうな顔をしてふりかえる。それまでに見たこともない、最高のうれしそうな表情だった。よほど私を待ちわびていたんだなと思う。

きれいになると、幸四郎は、ただひたすら静かにしていた。甘え声をだすことも、つらそうにすることもなく、ときどき咳き込むぐらいで、そばにいてやろうとしても、それがうれしいのか、うっとうしいのかわからないぐらいだった。

食欲はなくならなかったが、軟便になることが多くなった。結果、体を洗ったり、汚れものを洗濯するのがそのぶん大変になり、一日に何度も洗濯機をまわすことが多くなった。

休みの日はずっとようすを見つづけ、体をよごす前に対処しようと努めた。気をやすめられることがなくなった。とはいえ、それはちっとも苦労ではなかったけれど。もともと、仕事などしなくてもいいのなら、人づきあいもせず、外にでかけなくてもいいのなら、ずっとイヌやネコのそばにいることが、自分の幸せであったのだ。

まして、幸四郎は、なにがあったかはわからないが、きっとひとに虐待された経験をもち、横浜の町をさまようはめになった身だ。つらい日々をすごしてきたのだろう。ひとりぐらい、そんな彼のためにがんばるものがいなくては、人間なんてくそくらえなのだ。

幸四郎のたれながす排泄物は、くさいものでもきたないものでもなく、それは「生きている」証。いつまででも、洗濯の苦労ぐらいしてやるつもりだった。

そうこうしながら、わたしは、ひとりと4頭で暮らせる新居を探していた。そして、半年後、やっと不動産屋が「ペットの多頭飼いでも大丈夫ですよ」という物件をみつけた。仕事先にも近い場所であり、わたしは、もうここしかないだろうと思って、話をさきにすすめた。いっぽうでは、いろんなことの合間をぬって、引越しのための荷造りも少しずつはじめた。

そんなある日の朝、わたしが仕事に出る準備をしていると、背後のフローリングの床をカチャカチャいわせて歩く音がした。ネコはそんな音はたてない。モモの足音でもない。カチャカチャいうのは、よく、ちょっと爪がのびたときの幸四郎の足音……。

わたしは、「まさか」と思って、ふりむいた。そこには、まちがいなくたちあがって歩いている幸四郎の姿があった。元気だったときのように、居間から玄関のあいだを、いったりきたりしている。

「今日は、よほど具合がいいのか」

一瞬そう思い、わたしは笑顔すらうかべて、ともかく外出の準備をしてしまうことにした。いつもなら、このあと幸四郎の用足しをすませることになる。

そのとき、大きく、ドタッという音がした。

瞬間、「ろうそくは燃えつきるときにいちばん炎が大きくなる」という、もうあちこちで言われつくしたような言葉が頭をよぎった。「えっ! まさか!」

「幸四郎!」と叫んでかけよると、幸四郎は床に横倒しになっていた。

「こうしろう」

もう一度声をかけながら頭を抱きかかえると、幸四郎はうつろな目をうすく開いて息をはき、そのあと、「はあ」、「はあ」、「はああ」と3回大きく呼吸をした。

そして、それでおわりだった。

なんとも、あっけないことだった。

幸四郎は、死んだのだ。もう、動くことはない。

わたしは腕に力をこめて、

「幸四郎、うちにきてくれて、ありがとう」

と言ったけれど、その言葉は、彼の息のあるうちには届かなかった。

日常の時間が、とまってしまった。

数年前、2歳ぐらいの若イヌというふれこみでうちにきた幸四郎は、あっというまに実際は高齢犬ということになり、わたしの腕のなかで亡くなった。

「幸四郎、少しはしあわせだったかい」

わたしは、幸四郎にそう問いかけた。返事はない。

そして、わたしはいまでも、問いかけている。

「幸四郎、しあわせだったかい。生れてきて、よかったかい」、と。

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2008年6月 1日 (日)

幸四郎のおとろえ

柴イヌ・幸四郎が、車に飛び乗り損ねた。

それは、ニャアちゃんの死後、しばらくたってからのことだった。

幸四郎はなによりも車が好きで、車でいっしょに行けるところには、どこにでも連れて行っていた。そして出かけるとき、荷台の扉をあけると、すぐにひらっと飛び乗るのがいつもの幸四郎だった。

ところが、その日、飛び上がりが弱くて、荷台に後肢がのせられず、体ごと地面に墜落したのだ。別にけがもなく、すぐに飛び乗りなおしたが、いつもの幸四郎ににあわないできごとに、「なにやってんだ」などといいつつ、ちょっと心配になりだした。

それから、急速に幸四郎のおとろえが目にみえだした。

車に乗り損ねることがふえ、自分でもタイミングがとりづらくなったのか、なかなか飛び乗ろうとしなくなり、抱いて乗せることが度々となった。

散歩にでても、いつも前へ行こうとするのを制御して私のすぐ横を歩かせていたのが、気づくと私のうしろからとぼとぼとついてくるだけになり、やがては「もう歩けません」とばかりに立ち止まってしまうことも多くなった。

そのうち、ゴホゴホと咳き込むようになり、ただ立っているだけでも、下半身がつらそうにプルプル震えるようにもなった。

獣医さんにみせると、やはりもう幸四郎は老犬であり、老犬ともなれば、後半身が衰えるのは普通のことらしい。ただ問題なのは、心臓肥大もおこしていることだという。重大事であり、すでにいつ死んでもおかしくない状態だったそうだ。

手当てのしようもなく、せめて薬をのませながら、いつまでもつか祈る日々となった。

体の負担になるからと、散歩も禁止となった。家のなかを動くだけとなったが、それでも車で外出するときは、抱いて車にのせ、連れていっていた。

ときどき、夜寝ようとふとんにはいると、幸四郎がよたよたと近寄ってくるので、「いっしょに寝ようか」といいつつ抱きよせようとしても、抱きしめられるのが嫌いな幸四郎は、やっぱり嫌がって頭をそむける。そんなとき、かならずパグのモモが、「そこはわたしの場所」とばかりに割り込んでくる。すると、幸四郎はあっさりと身をさげて、居間の床にしいてある専用毛布のところに戻ってひとり横になるのだった。

そんな状態でいたとき、そのころもうほとんど家に帰ってこなくなっていた妻との離婚が、とうとう本格的に決定した。そうなると、この家は妻とその実家が購入したものである以上、わたしがイヌやネコを連れて出ていかねばならない。

私は、少し時間をもらうことにして、転居先を探しだした。弱った幸四郎も含めて、ひとりと4頭が安心して暮らしていける場所を探さなくてはならない。仕事も忙しくなってきていて、そのあいまをぬってあれこれ計画をたてようとしたのだが、ことはなかなか先にすすまなかった。

そして、こんな状態が半年近くつづいたとき、とうとう幸四郎が立てなくなった。

「寝たきり」――そんなありさまになってしまった。

そこからの半年が、私の老犬介護の日々だった。

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