2009年3月 1日 (日)

ウマ、日本へ(5)

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騎馬民族・鮮卑のイメージ図を描こうとしたが、意外と資料が少ない。

人物の服装や馬具など、もっと詳細に調べたかったのだけど、とりあえずは、ここまで。

大雑把に紀元前後、その後蒙古と呼ばれる地域には、烏孫・匈奴・烏桓・鮮卑といった民族が興亡の最中にあったけど、これらは一様に北方騎馬民族といわれている。

こうした民族が、その後中国や韓半島へ勢力をのばす。

ウマも、かれらの動きとともに、南方へと広がっていったものだろう。

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2009年1月25日 (日)

ウマ、日本へ(4)

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ウマと人がいつ出会ったのか、確かなことはわかっていない。

ただ、アメリカ大陸からベーリング海峡を渡ってユーラシア大陸へと分布を広げていくウマの北方拡散経路と、それに沿うように発展したスキタイやら鮮卑やら蒙古やらが騎馬民族と呼ばれる文化をもつことを考えると、彼らの先祖がどこかでウマと出会い、飼育するようになったのは確かだろう。

そこには、歴史として語られることのないドラマがあったはずなのだが、それは、想像・創造してみるしかない。

いつか、そんなドラマを描いてみたいものだ。

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2008年11月23日 (日)

『鎌倉の馬の骨』刊行

『鎌倉の馬の骨』が、やっと刊行となりました。

 鎌倉の馬の骨 漂着骨を調べる 鎌倉の馬の骨 漂着骨を調べる
販売元:セブンアンドワイ
セブンアンドワイで詳細を確認する

どうぶつ社刊で、代金が4500円(税別)と、自分でも驚く価格になってしまいましたが、カラー図版ページが多いので、どうしてもこれくらいになるそうです。

鎌倉の浜漂着のウマの骨を、がんばって歯の1点1点まで同定してありますので、興味あるかたは、よろしくお願いいたします。

一般の書店では、ジュンク堂や八重洲ブックセンターのような大型書店で扱ってくれているようです。

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2008年11月16日 (日)

ウマ、日本へ(3)・モウコノウマ

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中央アジアに立つモウコノウマ

現代につづくも、野生種は絶滅

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2008年10月26日 (日)

ニホンオオカミの根付とされるものについて

ご要望があるかどうかわかりせんが、ニホンオオカミの根付とされるものについて一言。

根付というのは、現代でいえば、ストラップについているキャラクターやアクセサリーのようなもので、江戸時代などでは、印籠や煙草入れなどを結ぶ紐に、それがほどけないようにストッパーとして着けた自然物や細かい細工物のことです。

そして、幕末から明治にかけては、山の力ある動物にあこがれたためか、クマやニホンオオカミの下顎の先端を切断し、磨いたり孔をあけたりして根付にしたものが多くつくられたようです。

そうしたものが、やがて古物商に流れると、その過程のとこかで、「クマよりもオオカミのほうが高くつくのでは」とでも考えられたのではないでしょうか。クマの下顎骨の根付もニホンオオカミのものとして売られることになり、扱う古物商もクマとオオカミの区別がつかないまま(ついていても黙っていることもあるでしょうが)、クマもオオカミも「オオカミの根付」として売られ、間違ったまま伝わってしまうことがあるのだと思います。

そこで、クマのもとオオカミを含むイヌ科のものとの簡単な区別の仕方を、ちょっとここで紹介しておきたいと思います。

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写真は、クマの下顎骨を加工した根付です。下顎を上からみた内面部で、左側が頭の先になり、顎の先だけを切断したものとなります。全体に研磨され、犬歯(牙)も大きく削られていて、左右の犬歯間には、紐を通すための孔があけられています。

歯は犬歯しかなく、あとは歯がはまっていた穴(歯槽)だけとなっていますが、ここで注意すべきなのは、犬歯のすぐ後にある第一前臼歯の歯槽の位置です。写真の資料では、犬歯の後に、第一と第二前臼歯ふたつの歯槽がのこっていますが、第一前臼歯の歯槽は犬歯とほとんど接する位置にあるのがわかります。実は、これがイヌ科の下顎骨とクマの下顎骨をみわけるポイントになるのです。

イヌ科の第一前臼歯と犬歯の間には、はっきりとした隙間があきます。これに対して、ツキノワグマでもヒグマでも、第一前臼歯と犬歯は密着してはえているのです。

よって、写真の根付も、クマのものだと判断できるわけです。

でも、オオカミのものだからよくて、クマのものだとがっかり、などということはありません。

どちらも古来より山の神ですし、こうした根付も、どちらにしても貴重な歴史資料・民俗資料であるわけです。出所が明確であればいうことはないのですが、動物と人間の関わりを調べているものにとっては、大事な標本であります。

もし、こうしたものを所有しておられるかたがいて、それがオオカミのものかクマのものか迷っていたとしたら、以上の点を参考にしていただければと思います。

以上、今回はちょっとまじめに書きました。

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2008年10月 8日 (水)

ウマ、日本へ(2)

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プリオヒップス(一趾)、ベーリング海峡を渡る。

約500万年前、体高122cm。

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2008年9月21日 (日)

ウマ、日本へ(1)

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三趾馬・メリキップス

 約1000万年前の中新世前~中期、 北アメリカ

右下は大きさ比較のためのパグ

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2008年7月27日 (日)

『鎌倉の馬の骨』 出版決定

ここ数年がかりでまとめていた、鎌倉の漂着動物骨のうち、ウマの骨についての本が、「どうぶつ社」さんのご協力を得て、やっと出版にむけて動きだしました。

タイトルは『鎌倉の馬の骨 ――漂着動物骨を調べる――』となる予定で、採集したウマの骨を紹介し、ウシの骨と比較したウマの骨の特徴・見分け方を述べ、各地の遺跡から出土したウマの骨と計測値的比較をし、これらの骨の由来を探ろうとするものです。

目下、編集作業にはいったところで、順調にいけば、年内には刊行できる予定であります。

「こんな本だして、だれが買ってくれるんだろう」という不安はありますが、ともかく、ずっと抱えこんでいた企画のひとつが、やっとひとつ形になるということで、ちょっと肩の荷がおりた気がしております。とはいえ、まだまだ先があるので、これからもがんばらねばと思っておりますが。

実際に刊行される際には、また告知させていただきますが、興味のあるかた、ひとつよろしくお願いいたします。

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2008年6月15日 (日)

遺跡から出土したイヌたち その1

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             ※                 ※

人間と動物がどうかかわってきたか。

動物考古学という分野では、日夜それを考えつづけています。

そして、遺跡から出土する動物たちのことを、学者だけではなくて、もっと一般のひとたちにも知ってほしい、と思うのです。

それというのも、発掘調査で得られた情報というのは、考古学者だけのものではなく、本来みんなのものだからです。

そして、そのためには、なにをどうしていったらいいのか、いま、あれこれ試行錯誤しているところです。

ここに載せたのも、そうした試みのひとつとして作ってみたものですが、できればこれをつづけて、いずれなんらかの形に発展させられたら、と考えています。

どんなものでしょうか。

遺跡からの出土品としては、お宝的なものは話題にもなり、多くのひとの知るところともなります。でも、動物の骨は、なかなかそういうあつかいはうけない。残念なことです。

動物考古学者としては、出土資料の分析件数をふやし、論文をかいて業績をあげていく、という道もあるでしょう。でも、現在の人間と動物との関係を考えるとき、歴史的にはどうだったかを把握しておくことも大事なことです。

そのために、いろいろと調べ、みなさんにも考えてもらうための情報を提供する。そうしたことに努めるのも、この世界に足をつっこんでしまったもののお役目でしょう。

ただ、自分でも、よわってしまう点があります。

それは、考古学は人間科学に属する学問であり、動物考古学者も当然人間側にたった視点でものをみるわけなのですが、わたしはどうしても、動物側にたってしまうことです。

ひとが動物をどうあつかってきたかではなく、動物がひとにどんなあつかわれかたをしてきたのか、というように。

そんなことだから、わたしは学問の世界からはみだしてしまったのかもしれません。学問という場が、息苦しくてしょうがなくなってしまうのです。どうにか自分をおさえなくてはといっても、そうなってしまうのだから、これはどうしようもありません。

でも、学問というのは、その成果を未来へとつなげていくもの。だから、今後も、わたしはわたしなりに、これからひとと動物はどうつきあっていけばいいのか、それを考えつづけていきたいと思っております。

偏らない視点を保ちつつ。

はるか縄文のむかしから、ほんの昨日までの過去、そして現在をみつめながら。

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2007年9月26日 (水)

わたしの特別な書棚から-専門書紹介-(25)

跋扈する怨霊―祟りと鎮魂の日本史 (歴史文化ライブラリー 237) Book 跋扈する怨霊―祟りと鎮魂の日本史 (歴史文化ライブラリー 237)

著者:山田 雄司
販売元:吉川弘文館
Amazon.co.jpで詳細を確認する

ずいぶん前に、正確な書名は忘れてしまったが、民俗学者か言語学者が聞き取り調査をまとめた「アイヌ伝承」に関する本を読んだことがある。そのなかに、かつて、いまのように医学が発達していなかった頃、当時のひとにとって謎の死(なんらかの病気だったのだろうが)を集落のひとびとが異常な死ととらえ、集落全体が呪われたものと考えた結果、その集落を廃して別の地にそっくり移転してしまったという話があった。これを読んだとき、考えたものだ。

発掘調査で確認される縄文時代の集落跡でも、その後も同じ地で弥生、古墳時代、古代と集落が営まれたとしても(これを複合遺跡という)、ずっと代々その土地を受け継いできたわけではないだろう。たいがい、どこかで断絶がある。なぜ、そうしたことがおこるのか。それが、ほんの一時期だけの集落跡ならば、なぜ一時期だけなのだろうか。そこに住んでいたひとびとは、どうしてその集落を捨てることになったのだろうか。自然災害でもあったのなら、その痕跡は確認できるだろう。それもないとしたら、なぜ。

こうした場合、考古学者は、気候変動がそれまでの生活を維持できなくさせたためとか、異文化の進出によってそれまでの住人が追いやられたとか、そんな理由を説く。

しかし、前述のように、その土地が「呪われた」と考えての移転ならば、そうした概念の進入を認めない考古学者、歴史学者には、解答を出せないことになる。

以前にも書いたと思うが、とくに中世以前においては、ひとびとの暮らしには、霊だ、怨霊だ、神だ、といったものが、日常生活についてまわっていただろう。現在だって、だれがどんだけ否定しても、そうしたものはひとの心に残りつづけている。実際にそうしたものが存在するかどうかではなく、ひとがそうしたものを信じていたことが重要なのだ。その心性を理解することが大事なのだ。

本書の著者はもともと「心霊写真が好きで」などと「あとがき」で学者としては勇気ある告白をされているが、のちにこうした精神世界に属することを研究テーマにすると、指導教授に「学問は正道をいけ」と諭されたそうである。しかし、歴史におけるひとびとの暮らし、社会を探るには、こうしたことの研究は、大正道ではないだろうか。

本書は古代、中世の名のある人物の怨霊伝説について、さまざまな文献を通して追求している。そして、それが古代、中世社会を構成する、重大要因であったことも説かれている。

こうした研究は、もっと正道のものとして取り組まれねばならないと思うし、本書では歴史的人物を扱っているが、民衆の生活においては、もっとさまざまな話があるだろう。それをどう探っていくかはなかなか難しい問題だが、こうしたことをはなから除外していては、本書にもあるように、血の通ったひとの歴史は見えてこないだろう。

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