2009年3月15日 (日)

貝塚調査

この二週間、某所で貝塚調査に従事しておりました。

「大規模な貝塚は、もう首都圏あたりでは残ってないだろう」という声をずいぶん前から聞いていたのですが、まだ場所によっては残っているようです。

発掘調査当初は、小さな部分的な貝塚が出土しているということで、その調査・分析を担当するために現地に赴いたら、盛土の下から、調査区内に大きく広がる貝塚が出てきました。

予想されていなかったこととて、調査期間は短く、天気も雨つづき、この貝塚調査は相当厳しいものになってしまいました。また、現場調査は終わっても、これから、サンプリングした大量の貝の分析をしていかなければなりません。

何ヶ月かかるかはわかりませんが、当分貝三昧の日々になりそうです。

とりあえず、こういう状況だったので、この間、まったく絵は描けませんでした。

かわりに、現場を訪れたネコたちの写真を掲載しておきます。

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発掘調査が始まるまで、ここはネコたちのくつろぎの場だったのでしょう。

どのネコも、「なにしてやがんだ」という顔をしてました。

お邪魔して、すみませんでした。

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2008年11月23日 (日)

『鎌倉の馬の骨』刊行

『鎌倉の馬の骨』が、やっと刊行となりました。

 鎌倉の馬の骨 漂着骨を調べる 鎌倉の馬の骨 漂着骨を調べる
販売元:セブンアンドワイ
セブンアンドワイで詳細を確認する

どうぶつ社刊で、代金が4500円(税別)と、自分でも驚く価格になってしまいましたが、カラー図版ページが多いので、どうしてもこれくらいになるそうです。

鎌倉の浜漂着のウマの骨を、がんばって歯の1点1点まで同定してありますので、興味あるかたは、よろしくお願いいたします。

一般の書店では、ジュンク堂や八重洲ブックセンターのような大型書店で扱ってくれているようです。

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2008年6月15日 (日)

遺跡から出土したイヌたち その1

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             ※                 ※

人間と動物がどうかかわってきたか。

動物考古学という分野では、日夜それを考えつづけています。

そして、遺跡から出土する動物たちのことを、学者だけではなくて、もっと一般のひとたちにも知ってほしい、と思うのです。

それというのも、発掘調査で得られた情報というのは、考古学者だけのものではなく、本来みんなのものだからです。

そして、そのためには、なにをどうしていったらいいのか、いま、あれこれ試行錯誤しているところです。

ここに載せたのも、そうした試みのひとつとして作ってみたものですが、できればこれをつづけて、いずれなんらかの形に発展させられたら、と考えています。

どんなものでしょうか。

遺跡からの出土品としては、お宝的なものは話題にもなり、多くのひとの知るところともなります。でも、動物の骨は、なかなかそういうあつかいはうけない。残念なことです。

動物考古学者としては、出土資料の分析件数をふやし、論文をかいて業績をあげていく、という道もあるでしょう。でも、現在の人間と動物との関係を考えるとき、歴史的にはどうだったかを把握しておくことも大事なことです。

そのために、いろいろと調べ、みなさんにも考えてもらうための情報を提供する。そうしたことに努めるのも、この世界に足をつっこんでしまったもののお役目でしょう。

ただ、自分でも、よわってしまう点があります。

それは、考古学は人間科学に属する学問であり、動物考古学者も当然人間側にたった視点でものをみるわけなのですが、わたしはどうしても、動物側にたってしまうことです。

ひとが動物をどうあつかってきたかではなく、動物がひとにどんなあつかわれかたをしてきたのか、というように。

そんなことだから、わたしは学問の世界からはみだしてしまったのかもしれません。学問という場が、息苦しくてしょうがなくなってしまうのです。どうにか自分をおさえなくてはといっても、そうなってしまうのだから、これはどうしようもありません。

でも、学問というのは、その成果を未来へとつなげていくもの。だから、今後も、わたしはわたしなりに、これからひとと動物はどうつきあっていけばいいのか、それを考えつづけていきたいと思っております。

偏らない視点を保ちつつ。

はるか縄文のむかしから、ほんの昨日までの過去、そして現在をみつめながら。

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2008年1月27日 (日)

鎌倉漂着の土錘

久しぶりに、考古学っぽいことを書こうと思います。

写真は、鎌倉漂着の土錘です(上から、a、b、cとします)。土錘とは、漁網につけるおもりのこと。土製なので、土錘といいます。

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さて、この3つ。東京湾岸の各地遺跡出土の土錘の形態分類をした谷口榮氏によれば、a の球形のものは古墳時代を中心に、地域によっては平安時代までにみられるもの。b は、主として古墳時代の後期頃に用いられたタイプ。そして細長い c は、古墳時代から中世、おそらくは近世まで使われていたタイプということになります。

遺跡出土資料ならば、他の出土遺物との関係をみながら、この分類にしたがって報告文を書くところですが、漂着資料となれば、それぞれの時代も参考といったところでしょうか。

いずれにしても、こうした古いものが採集されるところが、鎌倉の浜の魅力でもありましょう。さすがに青磁・白磁といったものが採集されることは少なくなったようですが、こうした土錘や、須恵器片などは、まだちょくちょく採集されるようです。興味をもつひとが、少ないのかな。

参考文献

谷口榮 1991「北部東京湾岸における土錘の様相」

        『竹橋門』東京国立近代美術館遺跡調査委員会

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2007年9月26日 (水)

わたしの特別な書棚から-専門書紹介-(25)

跋扈する怨霊―祟りと鎮魂の日本史 (歴史文化ライブラリー 237) Book 跋扈する怨霊―祟りと鎮魂の日本史 (歴史文化ライブラリー 237)

著者:山田 雄司
販売元:吉川弘文館
Amazon.co.jpで詳細を確認する

ずいぶん前に、正確な書名は忘れてしまったが、民俗学者か言語学者が聞き取り調査をまとめた「アイヌ伝承」に関する本を読んだことがある。そのなかに、かつて、いまのように医学が発達していなかった頃、当時のひとにとって謎の死(なんらかの病気だったのだろうが)を集落のひとびとが異常な死ととらえ、集落全体が呪われたものと考えた結果、その集落を廃して別の地にそっくり移転してしまったという話があった。これを読んだとき、考えたものだ。

発掘調査で確認される縄文時代の集落跡でも、その後も同じ地で弥生、古墳時代、古代と集落が営まれたとしても(これを複合遺跡という)、ずっと代々その土地を受け継いできたわけではないだろう。たいがい、どこかで断絶がある。なぜ、そうしたことがおこるのか。それが、ほんの一時期だけの集落跡ならば、なぜ一時期だけなのだろうか。そこに住んでいたひとびとは、どうしてその集落を捨てることになったのだろうか。自然災害でもあったのなら、その痕跡は確認できるだろう。それもないとしたら、なぜ。

こうした場合、考古学者は、気候変動がそれまでの生活を維持できなくさせたためとか、異文化の進出によってそれまでの住人が追いやられたとか、そんな理由を説く。

しかし、前述のように、その土地が「呪われた」と考えての移転ならば、そうした概念の進入を認めない考古学者、歴史学者には、解答を出せないことになる。

以前にも書いたと思うが、とくに中世以前においては、ひとびとの暮らしには、霊だ、怨霊だ、神だ、といったものが、日常生活についてまわっていただろう。現在だって、だれがどんだけ否定しても、そうしたものはひとの心に残りつづけている。実際にそうしたものが存在するかどうかではなく、ひとがそうしたものを信じていたことが重要なのだ。その心性を理解することが大事なのだ。

本書の著者はもともと「心霊写真が好きで」などと「あとがき」で学者としては勇気ある告白をされているが、のちにこうした精神世界に属することを研究テーマにすると、指導教授に「学問は正道をいけ」と諭されたそうである。しかし、歴史におけるひとびとの暮らし、社会を探るには、こうしたことの研究は、大正道ではないだろうか。

本書は古代、中世の名のある人物の怨霊伝説について、さまざまな文献を通して追求している。そして、それが古代、中世社会を構成する、重大要因であったことも説かれている。

こうした研究は、もっと正道のものとして取り組まれねばならないと思うし、本書では歴史的人物を扱っているが、民衆の生活においては、もっとさまざまな話があるだろう。それをどう探っていくかはなかなか難しい問題だが、こうしたことをはなから除外していては、本書にもあるように、血の通ったひとの歴史は見えてこないだろう。

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2007年9月22日 (土)

わたしの特別な書棚から-専門書紹介-(24)

理系の視点からみた「考古学」の論争点 Book 理系の視点からみた「考古学」の論争点

著者:新井 宏
販売元:大和書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

思わず買って、すぐに読んでしまった。

著者も本分で書かれておられるように、考古学とは人間の生活全般を相手にするものだけに、さまざまな分野からの参入が可能―いや、必要な学問である。各種遺物や遺構の分析が年々細かくなり、考古学者ひとりひとりが専門領域だけでていっぱいになってきている反面、それを綜合し、専門領域を超えた広い視点をもたねば考古学上の課題は解けないとする批判もあり、昨今はさかんに学際的研究が求められている。ただ、その呼び声は大きくても、なかなか実現に至らないのが現状ではなかろうか。わたしの動物遺体分野でも、ともすれば「予算がない」とか、「興味がない」とかで、考古学調査から疎外されることが多いのだ。

まして、他分野からの参入には、結構学会は冷たい。「素人がなにをいうか」と思っているか、専門外のことはわからないからと、あえて沈黙を守っているかなのだろう。

本書の著者は、金属関係の専門家とのことで、文系の考古学者にはとてもついていけないような専門的分析をもって、現在論争になっている考古学上の課題に挑戦しておられる。

「三角縁神獣鏡問題」、「弥生年代遡上問題」、「古代尺問題」、「金属考古学の諸問題」

これが本書にとりあげられているテーマだが、かねてより製鉄が行われなかったとされているの弥生遺跡からちょくちょく鉄滓が出土し、よく検討もされずに「弥生の遺跡から鉄滓が出るはずがない」、「なにかのまちがい」、「後世の攪乱による混入」と簡単にすまされていたことに、「それでいいのか」と考えていたわたしとしては、「弥生時代には本当に製鉄が行われていなかったか」の項目は、とくに興味深いものだった。そして、もっと専門的分析が必要だということも。

昨今の考古学者は、業績をあげるためか、理系からの都合のいい提示には、よく調べもせずにとびつく傾向があるのではないか。そして出した結論に都合のわるい反論がでると、無視する傾向が強い。

かつて古人骨の専門家が、「考古学者は人骨が出ると自分らにまかせっぱなしにするが、それも考古資料である以上、少しは自分たちでも勉強しろ」と苦言を呈されていたが、まさにその通りだろう。

ひとつの遺跡を解釈しようとするなら、その考古学者は、すべての遺物、遺構、諸科学分析を綜合してかかる必要がある。諸科学だけ別物として切り離していいわけはなく、その点、発掘報告書でも自然科学分析などはよく「付編」などとして本文のふろくのような扱いをしているが、それは姿勢として間違ったものである。このことは、ずっといいつづけているが、誰もきいてくれない。

そういえば、縄文時代の漁労について考えていたとき、ほんものの漁師さんの視点だと、どういうことになるのだろう、机上論でものいう学者とは、まったく違う意見がでるのではないか。漁師の考古学者がいたら、画期的な研究ができるのだろうな、などと思っていたこともある。

専門外・アマチュア研究者の言に冷たいのは考古学ばかりではないのだろうが、専門の世界にいると頭がかたくなってしまうのだろう。だから、画期的な発見などというものが、往々にしてアマチュアの手によることが多かったりするのだ。

もっといろんなひとが参入して、学問を自由にしなければならないと思うのだが。

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2007年8月23日 (木)

わたしの特別な書棚から-専門書紹介-(22)

『縄文の動物考古学』について

縄文の動物考古学―西日本の低湿地遺跡からみえてきた生活像 Book 縄文の動物考古学―西日本の低湿地遺跡からみえてきた生活像

著者:内山 純蔵
販売元:昭和堂
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考古資料のうち、土器や石器だけではなく、動物遺体をはじめとする自然遺物の分析・調査も重要であり、そうした面からの研究も進めていこうとするニューアーケオロジーという概念が提唱されたのは、1970年代のことだった。

ところが、いまだに発掘調査段階で動物遺体資料は捨てられたり(とくに江戸遺跡)、目だった大きなものしかサンプリングしないとか、といった事態は普通に行われており、予算がないからと、分析対象にすることもおそろしく少ない。こんなことは、土器や石器ではありえなかいことである。

こうしたことが続いているのは、動物遺体を専門とする人間(つまり、わたしのような)が、その重要性をちゃんと説いてこなかったからである、といわれたこともある。そこで、なんとかしなくては、と思いつつあるところ、『縄文の動物考古学』と、ストレートなタイトルの本が出た。これは、久しぶりに刊行された「動物考古学」の概説書に違いない。そう思って、喜んでさっそく購入し、読んでみた。

結果、期待とは違っていた。この本は、福井県鳥浜貝塚と滋賀県の2遺跡から出土した縄文期の動物遺体資料を使った、長大な研究論文といったもので、一般向けの概説書とはいえないものであった。著者も、とくに動物遺体の専門家でもないのかな。

論文の内容に関しては、順序だてて細かくさまざまな分析を行っているようで、きめ細かさを感じるが、結論として、シカ猟・イノシシ猟を○月、○○月と、現在の12月で記述しているところが気になる。

動物というものは、1月だから、2月だから、といった形で生活しているわけではなく、気候など環境条件によって生態状況も変化するものであろう。となると、狩猟時期を推定するには、まず縄文期(それも、前期や後期ではまったく違う。縄文海進、海退というのがあって、前期などは気候温暖期にあって、関東でいえば、東京湾などは、湾奥は現在の埼玉県にまで達していた)の気候、それによる地域的植物相・動物相なども考慮にいれ、その環境下では、研究対象とする動物がどういう生態を示すのかを調べなければならないだろう。

現代でも、暖冬、猛暑、温暖化などで、動物が通常とは異なる動きをみせて、ニュースのネタになったりしている。環境条件というものは、決して無視できるものではないのだ。本書は、そこのところの詰めが甘いようだ。せっかく細かく検討しているのだから、こうした面も大事にしてほしかった。

とはいえ、わたしもかつて、気候温暖化期にあった縄文早期の、スズキ(某貝塚出土の主体魚種)の漁労時期を推定しようとして、まず現在の気候条件でわかっているスズキの年間行動を、縄文早期の推定年平均気温にあわせて修正しようとしたら、一年中漁労可能ということになり、漁期の推定などできなかったことがある。また、こうしたことも、結局は机上論で、実際気温・海水温が高いときの動物の行動など、実際にそういう条件化での観察がなされないかぎり、なにが正しいのかわかりゃしないであろう。

よって、せっかくの本書も、結論的には、参考でとまってしまうかも。それでも、こうした研究方法を提示していただけたということで、考古資料としての動物遺体分析の重要性も、世に伝えられたのではないか、とも思う。本書の意義は、「あとがき」に書かれている。わたしの抱いているいらだちも、著者の思考と相通じるものだろう。考古学という世界には、もっと、こういう研究者が必要なのだと考える。

ただ、統計学的用語・方法などは、説明もないため、一般にはよくわからないだろう。一般書籍として刊行する以上、そうした面での配慮も欲しいところではある。

刺激をいただいた。いつか、自分もちゃんと一書を書かねばと思うしだいである。

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2007年8月15日 (水)

わたしの特別な書棚から-専門書紹介-(21)

考古学関係

縄文時代の考古学 6 (6) Book 縄文時代の考古学 6 (6)

販売元:同成社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

シリーズの2回目配本が、やっと出た。

先に『ものづくり』というサブタイトルであることを知り、これまでの同類の本で、「縄文時代」、「ものづくり」とくれば、たいがい縄文土器製作とその施文方法についての話ときまっていたので、今度もまたそうだろうと勝手に決め込んでいた。そして、その場合の他書もいくつか考えていたのだが、本書を開いてみて、まったく違ったことに驚くとともに、ちょっと嬉しかった。

本書は、縄文土器については、ほとんど記載されていない。まあ、土器については他の巻でやるのだろうが(刊行予定をみると、第7巻かな)、この『ものづくり』で取り上げられているのは、石器を主体とし、これまであまりまとまった記載のされていない骨角貝製品を対象としている。

日本の考古学は有名な大森貝塚の発掘を主導した自然科学者の活動から始まり、縄文人骨収集の狂奔時代があり、その後縄文時代に関しては、土器の施文方法やら時代変遷を追う作業(編年という)を中心にして研究が進められてきた。

わたしの学生時代などは何々式の特徴はどうでこうで、というややこしいことをしきりに勉強させられたものだ。しかし、それがさらに細かくなるにつれて、土器は出土遺跡ごとに細分されるような展開になり、よく「このままじゃ、1遺跡、1型式になるぞ」などともいわれたものだ。

それが昨今、こうした編年中心、そればかりやってる感のある考古学のありかたに疑問をもつものも多くなり、そんな既存の考古学に嫌気がさし、これまでの考古学とは別の新考古学を樹立しようとする動きまで出始めたようだ。

土器は、過去の社会や生活、ひいては人間そのものを考察するためのひとつの要素である。わたしが専門としている動物遺体などもその要素のひとつなのだが、考古学の世界では、ともすればわたしの分野など、「考古学じゃない」といわれることも多い。そういう状態に長年むかむかしつつ、黙っていれば捨てられてしまいかねないイワシの骨やらアジの鱗をも資料としてふんばってきた。考古学は、土器だけでおわっていいものではないのだ。

ここ数年、石器の研究者が地道ながら目覚しく研究を進めているなとは思っていた。木製品や骨角貝製品についても、あまり目立たないながら、着実に成果をあげてきたのだろう。それが、やっと土器中心ならぬ本書という形になったのだろう。本書に記載されていることについては、これからじっくり読ませてもらおうと考えているが、なにはともあれ、考古学がまた面白くなってくるかもしれない。

ただ、考古学の専門用語の面倒くささは、もっとなんとかならないものかと思う。博物館に展示されている遺物の名称記述で、日本語では漢字だらけのわかったようなわからないようなものなのに、英語表記ではまことに簡略だったりする。こうしたことが、一般のひとがとっつきづらい要因になっているのでは。まあ、自分は学者が偉そうな顔しているのが気に入らない性質なもので、こうしたことは、また機会があれば、ひとりぶつくさいってやろうと思っていますが。

というわけで、今回はこの本一冊だけの紹介です。

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2007年7月24日 (火)

わたしの特別な書棚から-専門書紹介-(18)

考古学関係

考古学は、「もの」を相手にする学問であり、そのため、出土遺物に関する研究は、年々細かく深くなっていく。しかしその反面、遺物をみるだけで終わっている傾向も最近強くなっている気がする。珍しい土器だ、貴重品だ、200万円はする壺だなど、それだけで「わあ、きゃあ」騒ぎ、「きみらは骨董屋か」といいたくなるときもある。遺物や遺構をひとつの資料、歴史を分析する要素のひとつとして当時の社会や人をみることが、この学問の役割なのではなかったか。

その点、ちゃんとやろうとするひとは、ちゃんとやろうとするのだ。今回は、そういう面からの本を何冊か紹介したい。

伝説と史実のはざま―郷土史と考古学 Book 伝説と史実のはざま―郷土史と考古学

著者:比田井 克仁
販売元:雄山閣
Amazon.co.jpで詳細を確認する

これは、東京中野区を舞台にした郷土伝承を考古学的情報をもちいて検証していこうとするもの。歴史というのは、どの時代にしても、こうした地域ごとにみていく視点が大切だと考えていたので、本当に歴史を読み解こうとしているひとの本として、嬉しくも先々が楽しみな一書である。

弥生時代のヒトの移動―相模湾から考える
Book
弥生時代のヒトの移動―相模湾から考える
販売元 六一書房
定価(税込)   ¥ 2,940

これも、弥生土器などの遺物をひとつの要素として、当時の人の動きを考えようとするもの。

鶴見川流域の考古学―最古の縄文土器やなぞの中世城館にいどむ Book 鶴見川流域の考古学―最古の縄文土器やなぞの中世城館にいどむ

著者:坂本 彰
販売元:百水社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

鶴見川流域という地域を限定して、その地域の歴史を考古学的情報でみていこうとするもの。旧石器から近・現代の戦争遺跡まで、イラストをまじえ、一般のひとにもわかりやすく書かれている。

鎌倉街道伝説 10〜100歳に贈る感動と発見の「えっ! 本」シリーズ Book 鎌倉街道伝説 10〜100歳に贈る感動と発見の「えっ! 本」シリーズ

著者:宮田 太郎
販売元:ネット武蔵野
Amazon.co.jpで詳細を確認する

これは鎌倉街道にこだわっている著者が、懸命に自分で調べ上げたことをまとめたもの。専門の考古学者よりも、こうした地道な研究者の努力が、大きな歴史解明をなしとげたりするのだ。写真やイラストが多く、この街道沿いを活動することの多い自分としても、目を開かせてくれる本。

こうした地域ごとの歴史を考古学的に調べてまとめた本というのは、まだまだある。しかし、なかなか書店に並ぶことが少なく、郷土資料館とか、その地域の小さな書店に何気なく置いてあったりする。こまめに探していると、いい本にも出会えるでしょう。

(19)へつづく

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2007年7月13日 (金)

わたしの特別な書棚から-専門書紹介-(16)

動物考古学関係

骨からその動物の種を同定するには、実物標本が手元にあるのが一番いい。しかし、魚類以外の動物の骨格標本をそろえるのは、個人レベルではなかなか難しい。そこで、標本のないものは、獣医解剖学などの図版などをみて、遺跡出土資料の骨と比較することになる。とはいえ、これも簡単にはいかない。標本があればものの数分で判明することが、図版相手だと、そしてとくに遺跡出土資料が破片だったりすると(ほとんどがそうである)何時間も迷ってうなることになる。

今回はそうした図版資料として、よく利用させていただいている本を紹介したい。

Book
馬の解剖アトラス
著者 Klaus‐Dieter Budras,サビーネ・レック, 橋本 善春
販売元   チクサン出版社
定価(税込)   ¥ 15,750

神経系統や筋肉など、骨格部分以外の記述が多いが、ウマの基本骨格を見るにはいい。ただ、脊椎骨の図版にもう少し詳しいのが欲しかった。

Book 牛の解剖アトラス

著者:Klaus‐Dieter Budras,Robert E.Habel
販売元:チクサン出版社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

上記の本のウシ版。やはり脊椎骨の個別詳細図があれば。

Book 新イヌとネコの臨床解剖カラーアトラス

販売元:チクサン出版社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

これは写真で構成されたもの。イヌとネコは骨格標本も所蔵してあるのだが、大事に保管してあるため、ちょっと調べるには、だいたいこの本を使っている。

『動物考古学』

これは学術専門誌。動物考古学研究会の会誌である。専門的研究論文のほか、2002年の19号より「哺乳類動物骨格図集」を連載している。

19号にイノシシ、シカ、イヌ、タヌキ、キツネ、アナグマ、カワウソ、ノウサギ、ムササビ、ニホンザルの各骨

20号にトド、アシカ、イルカ類の各骨および、19号掲載種の追加

1号とんで22号にアザラシ類、リクガメ、ウミガメ類各骨

23号にウシ、ウマ各骨

24号(現在最新号)にクマ類、ネコ、テン各骨

というラインナップになっている。ただ、これは図版が並ぶのみで、各骨についての詳しい記述などはない。

まとまった本としては、こうしたものだが、骨を見分けるためには、来る日も来る日も、実際の骨を飽くことなく見続けることだろう。手にした資料がある図版とそっくりでも、見分けるポイントをはずしていると大間違いになることが多い。このポイントをはずさないようにするには、実物の骨を見続けるしかないと思う。

ちなみに、骨格標本欲しさに生きている動物に手をかけるようなことは、学問のためであっても認め難い。わが師もそのまた師(直良信夫先生)も骨格標本は学術資料として収集されていたが、なにかの縁で生きた動物を入手した場合は、生かせる限りは生かすとがんばって飼育されていたようだ。飼育技術があると、対象動物は長生きし、情もうつり、こうなるともう家族である。

学問には、愛が必要である。 

(17)へつづく

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